先日ツイッターでこんな投稿を見つけました
僕や、僕の出会った人たちを見ていると、40代ってその後の人生の何十年間を決める。20代は負けん気で、30代はまだまだ若さが残っていて可能性も残っている。40代後半って、余程上手く行っていない限り、人生に詰まる時期なンだよ。でも心配することは無い。80の僕が言う。これからこれから。
— 小池一夫 (@koikekazuo) 2016年7月25日
実は昨年の秋に、とあるセミナーで別の講師から似たような話を聞いていたのです
脳科学的な話で「40代までに綺麗に生きてきた人は、50代から無気力になりやすい傾向にある」ということでした。
綺麗に生きるというのは、恥をかかないよう無難に挑戦をせず生きてきたということ。
つまり50代になるまで、失敗をしないように生きている人たちのことを指していました。
人間の脳は失敗を繰り返すことで「優先順位」を決めるのだそうです。
ちなみにこれを言っていた講師は50代半ばの人です。
その人は死ぬまでにやりたいことがことがいっぱいで、時間が足りないほどだと言っていました。
時間を有効に使うには優先順位が決まっていなければ、無駄なことにばかりエネルギーを注いでしまい、本当にやりたいことを見失ってしまいます。
一方で綺麗に生きてきたと思われる、講師と同年代の人を見渡すとやりたいこともなければ話題もない。
一緒にいて、とてもつまらないのだと言っていました。
挑戦すること自体が慣れや習慣で、50代以降は身につけづらいことなのかもしれません。
健康だったとしても無気力な人生なんて、寂しすぎます
孤独より無気力になる方が怖いことだと思いませんか?
せっかく体が健康で素敵な人が一緒にいても、行きたい場所も、見たい物も、食べたい物もないなんて。
感動すらないのなら、生きていると言えるのでしょうか?
私の周りの40代も今30代までの「置き忘れてきた課題」と取り組んでいる人が多いです。
これは男性、女性関係なくそうです。
私の40代もご多分に漏れず、めまぐるしく過ぎて行っています。
30代までに比べると時間が加速度的に過ぎますし、挑戦を続けているので身の回りに起こる変化も著しいです。
けれども30代までにクリアしてきた課題は、同じ問題が起きても気づくのも解決するのも早いように感じています。
うまく行っていても、いなくても「置き忘れた課題」は誰にでもあるのだと思います。
それを1つづつクリアして行って今より少しでも楽に、人生の終止符を迎えることができるのなら、それが一番いいと私は考えるのです。
ですからツイートを見たときには「そうか40代はほとんどの人に取って、集大成の時間なのだ」と重ねて納得をしました。
別人のようにならなくてもいいから、どうすれば楽に生きて行けるのかを考える
40歳までに積み上げてきた物が、誰にでもあるはずです。
積み上げてきたものすべてを捨てることも、50代から別人のような人生を歩む必要もないと思います。
けれども80歳の人が「心配ない」と太鼓判を押してくれているのです。
その言葉を信じてこれまで積み上げてきたものの中で、なにを最大限に活かし捨てるのか?
たくさん挑戦して、たくさん失敗することで残すものと捨てるものの、優先順位が決まるのなら失敗も恥ではなくなります。
40代があと1年半ほどで終わる私には、まだ失敗を含む挑戦の時間が残されていることが、とてもありがたいと感じています。
とはいえ人は自由なのですから、信じるか信じないかはあなた次第です!
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- 40代と50代の違い, 優先順位, 無気力