親に自分のことを諦めてもらうのが、悪いことではぜんぜんないと思う
「自分に執着するのは、もうやめてもらえないのだろうか?」と共依存関係に陥った子供の側からは、よく聞かれる声です。
「諦めること」は自分に敗北感をまず感じますし、期待をしている相手に対しては罪悪感を生んでしまいます。
けれども諦めることが、そんなに罪深く悪いことなのかといえば、そうではないと私は思うのです。
それよりも諦めきれないことで自分が傷つき、傷ついた怒りが相手(親)へ向かうことの方が、むしろいい結果を生まないのではないでしょうか?
例えばあなたが意識のない状態になれば、親は期待などできないはずです
共依存関係の子供は親の期待に沿うように、心理的なコントロールを受けています。
親の気配を伺って親が癇癪を起こさないよう、自分の意思を無視してまで動こうとしてしまうことも、このブログに何度も書いています。
親の顔色を見ずに自分の思うように動くことが、洗脳から抜け出すファーストステップではあります。
けれどもこれができないのは、やはり依存された子供の側にも「捨てられたくない、愛されたい」という願望が根強くあるからです。
また同時に「親から愛されない自分は、罪深い親不孝者」だという刷り込みもなされています。
つまり親と自分の心の双方を守るために、自分の意思を押し殺す選択をしているということになります。
けれども想像をしてみてください、もしあなたがなにかの事故や病気で意識のない状態に陥ったら。
あなたも期待に応えようとなどしないはずですし、親もあなたから事実上何もしてもらえません。
双方の諦めを促すために、自分の期待を先に諦める
つまりまず自分から愛されたい欲求や、捨てられたくない欲求を諦めることです。
また罪深い親不孝者だということも、一旦でいいですから諦めることで、見えてくるものがあります。
諦めることでわざわざ事故や病気にならなくても、意識のない状態に近いあなたがいます。
意識がありませんから必然的に、期待に応えられないという自分も出てきます。
つまり「やりたくてもできない、してもらいたくてもしてもらえない」という状態が双方に生み出されます。
これはある意味対等な関係性です。
健全な親は「この子は自分を越えようとしている」と対等に向き合って、初めて自律し合えるのです。
それをあなたから促すのです。
ここで親はあなたを捨てはしません
「対等になるのはいいが自分が意識のない状態になったら、親は自分を捨てるのではないか?」という心配は無用です。
その理由として共依存関係の親の側は、ほぼ100%がコミュニケーション能力の低い人です。
ただし日常生活におけるコミュニケーション能力は高いので、周囲の人間はその精神年齢の低さを知りません。
低い部分というのは「本音を出す」ということを、極端に毛嫌いする部分です。
たとえば自分の寂しいときは「相手にして欲しい」ということを「寂しいのは、おまえのせいだ」と責任転嫁をして伝えます。
自分の要求を相手の落ち度を探して怒りで表現しますが「自分も一緒に仲間に入れて楽しませて」ということそのものは言えません。
また本音を出すことを毛嫌いするということは、家族以外の人間に本性を見られることを極端に嫌います。
そんな秘密を隠すために我が子をコントロールしながら、自分を保つ形を取っています。
だからあなたを捨てたりはしませんし、できません。
もし捨てることができる潔さを持っているのなら、とうの昔に成人した子供を今の今まで手元には置いていません。
学校帰りに仲良しの友達とお別れするように、別れる
ここで親に諦めてもらう1つの方法として、幼子のようにお別れする(自ら諦める)という手立てがあります。
親へ謝ってもらいたい気持ちや、反省して態度を改めてほしいという気持ちはわかります。
けれどもそれができる親は、依存的ではない健全な親でスタートから違うのです。
また私はこれまで共依存関係の親が、子供に依存したことを謝ったのを聞いたことがありません。
だから謝罪や反省や態度を改めてもらうことが、不毛なことかつどれほど自分へ負担がかかってしまうことか。
責任転嫁を繰り返して、反省や謝る能力を放棄した力なき人間たちなのです。
そんな力のない親にあなたは今まで苦しんできたし、健全になってもらおうとして自分に無理を強いてしまっています。
そこで親へ改心してもらう目的を「自分を守る」という目的に変えて親を諦めるのです。
幼い子供のように「また明日!」と通学路で別れるように、可愛く手を振るイメージで。
親の為ならしない方がいいですが、自分の心を守る為ならできるという人もいるのではないでしょうか。
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