昨日楽しめること100個を書いたところ、
Facebookのコメントで
「セリさんの楽しみって、たとえばどんなもの?」
という、ありがた〜いお問い合わせをいただいた。
私の楽しみなど誰も興味をお持ちではないだろうと、
書くことすら考えなかったのだけど、
「前世のオランダ人にまつわる楽しみってありますか?」
とか
「100個全部知りたい」
など私なんぞの楽しみに、
このような関心を寄せていただき嬉しいやら、
お恥ずかしいやら(^◇^;)
コメントでは無難な
「森林浴」とか
「野菜を細かく細かくみじん切りする」
と答えておいたし、100個すべての公開はご勘弁いただきたい。
なぜならとても人さまに言えないような
「楽しみ」
が100個のなかには多く含まれている。
前置きが長くなってしまったが、
興味を持っていただけたことは
大変ありがたいことなので、
お礼に(ならない!?)私の100個のなかの、
一番悪趣味な楽しみを、
嫌われてしまう覚悟でご披露したいと思う。(嫌わないでね!)
それは「恨みノート」という。
文字通り恨みつらみを書くノートだ。
このノートは怒りがMAXにならない限り、
発動しない。
「バカ、クソ、死ね!!!」
などそれはそれは汚い小学生レベルの言葉から、
自分の不甲斐なさ、やるせなさ、不安、自己憐憫も含む、
そのとき持っているすべての悪い感情を書き連ねる。
ときにはA5サイズのノートに、
5ページ以上もびっしり書くことになり、
自分の怒り、恨みの量の多さにゾッとすることがある。
これを書いたあとは、実に爽快だ。
イライラして眠れないときに書くことが多いので、
書いてから眠るとぐっすり眠れる。
「人を呪わば穴ふたつ」ということわざや、
「人の悪口は天に唾する」
などと言われているけど、そんなこと気にしない。
悪い感情を持ち続け自分で自分を毒することで、
関係のない人に嫌味を言ってしまったり、
恨んでいる感情を当事者にぶつけ、
意味のない言い争いになるとよけいに落ち込む。
「恨みノート」は、それを緩和させてくれる作用がある。
私がこの習慣を始めたのは、
中学でいじめにあったときだった。
帰国子女として中学に入学した日から
「アフリカ帰りはおまえか!!」
とホームルーム初日で悪いことをしたかのよう、
担任から言われたことから始まった。
タンザニアの強い紫外線を浴びた髪は、
真っ赤に焼けていて入学式のときから
染めていると睨まれた。
「ここはアフリカじゃないんだぞ!」
とことあるごとにこの言葉を連発されて、
同級生からも白い目で見られるようになった。
この当時は先生たちの権力が親より強く、
親が教師に文句を言いに行く時代ではなかった。
次第に生徒達からいじめにあうようになっても、
担任にはまず相談できない。
友達も信用ならない。
親に言ったところで、学校は休ませてはもらえない。
そんな苦肉の索として
「アフリカへ行っていたことが、そんなに悪いのか〜〜〜!!」
「あたしを楽しかったアフリカへ返せ〜〜〜!!」
と波田陽区のような(ふるっ)
恨み節で始めた名残りだったことを、
今こうして恨みノートの存在を書くことで思い出した。
私にとって30年以上の長い歴史のあるものだけど、
オリンピック選手のメンタル・トレーナーが
試合前日に選手たちがプレッシャーで眠れなくなるとき、
不安をすべてノートに書き出すよう指導していることを、
ある日テレビで観て驚いた。
ノートに不安になる要素をすべて書き出し、
パタンと閉じることで、
不安な気持ちをノートに閉じ込める効果があるのだそうだ。
今では年に1、2回ほどしか登場しなくなった。
このノートは開かなければ、
恨み節しか書いてないとは誰にも気づかれないほど、
かわいい大好きなキャラクター製のノートだ。
誰かに伝えようと思って書いてもいないから、
自分で読み返しても
なにがきっかけでこんなにひどい言葉を書いたのか、
今となっては思い出せないことばかりだ。
わかるのは
「ものっすごく怒っていたんだねーー」
ということだけのことが多い。
ちなみに私が小学生なみの悪口で、
「死ね」
と書いた者に死んだ人はまだいない。
デスノートではないので、どうぞご安心を。
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