子供の頃親に甘えることが許されなかった人にとって、
人に甘えるということはものすごく高い壁だ。
とはいえ、まったく誰にも甘えずに生きているとしたなら、
無人島で自給自足して暮らしている人くらいしか、私には思い浮かばない。
毎日使う電車だって、スーパーで買う食材だって誰かが提供してくれているものだ。
そこにはお金のやり取りがあるとは言っても、
管理や生産をしてくれている人がいなければ成り立たない。
3.11の震災直後の東京を思い出していただきたい。
一時的ではあったとしてもスーパーの棚からすべての商品がなくなり、
計画停電で電車や電気まで使えない時間があった。
ガソリンスタンドには「売り切れ」の看板が出ているのに給油の長蛇の列ができ、
普段は倹約して暮らしている人でも「倍の料金を払ってでもガソリンを入れて欲しい」
とつぶやいていた。
ニュースで買い占めをしている人たちの光景が映し出されて、
「不景気っていうけど、みんなすごいお金持っているじゃない」
と思いながら眺めていた。
貧富の差が関係なくなった不思議な時期だった。
管理、生産、流通、販売、どれがうまく行かなくなっても
消費者はパニックを起こし、大打撃を受けるのだから、
自分を含めてどれほどさまざまなことに、依存をしているのかがわかるだろう。
お金が意味をなさないところで、お金を積むと言っても不毛なのだ。
だからお金を払って買っているということは言い訳になってしまう。
いつも支えてくれている人がいるという意識と感謝が大切なのだ。
その意識と感謝のない人たちが「甘え下手」なのだと私は思っている。
お金を払っているという言い訳と同じように、人の世話になっていない振りを装う。
ネットで人の情報のアラを探して攻撃し、自分の正義を主張する。
でもその情報を与えているのは、今まさに攻撃をしている相手だ。
これはどう考えてもおかしい。
八百屋に行って「肉がない!」と叫ぶのだろうか?
そうして次は肉屋に行って「自分の欲しいイノシシの肉がない!」
と文句を言っていることと同じことがわからないのだろうか?
イノシシの肉が本当に欲しいのなら遠くの専門店へ買いに行くか、
猟師を探すか、自分で狩りに出て解体して、食べるしかないだろう?
まかり間違っても近所の精肉店を探したって、売っている物ではない。
お金があるなしも関係ないのだ。
ただ自分の問いかける場所が間違っている。それだけだ。
自分が動かずして、自分の持つ情報や知識を流布しようとすると、
このような無茶がはびこる。
またこういう人がなぜ自分の世界では発信しないのに、
自説や文句ばかりを他者の場所を犯してまで、
情報発信者に受け入れさせようとするかというと、
自分の発信する情報が「他者から拒絶されることを恐れているから」だ。
「イノシシ肉が欲しいのですが、仕入れてはもらえませんか?」
と頼めば、お店の人は「無理」と言ったり、
「ここでは無理だけど知り合いに扱っている人がいるよ」
と教えてくれるかもしれない。
でも断られるもしくは、
拒絶されるということが甘え下手は、とても苦手だ。
子供の頃親から甘えさせてもらえなかった人は、
お願いをして拒絶された経験があるから、拒絶をさせないように無意識で
「買ってやろうとしているのに、イノシシ肉を置いていないお前が悪い!」
と攻撃に転ずる依存型だ。
ストーカーがいい例で、自分が拒絶をされることなど考えたくないから、
「お前は自分を愛しているはずだ」あるいは「自分の愛をわからせてやる」
などと発想を自分本位に転換させてしまう。
「えーん捨てられちゃった、振られちゃった」
と泣けばすむことなのに、泣く代わりに自分を拒絶した人に恨みをぶつける。
「自分を愛してくれないか?」と言って断られるのが怖くてお願いができなくて、
相手に断る権限を与えないよう脅して怖がらせ、
自分の生育歴による愛情の欠落を誰かに埋めさせようとする。
自分が断られるのも苦手なら、断ることも苦手ないいカッコしい。
自分がいいカッコしいをするから、相手が自分にいい顔をしないことも許せない。
そんな悪循環は、結局孤独への街道をまっしぐらだ。
愛されたくて断られるのが苦手な寂しがり屋の末路が、孤独とは皮肉な結末だ。
それをよしとするのなら、嫌われればいい。
けれども世界中どこを探したって、万人から受け入れられて愛され、
尊敬される人などいない。
断られるのが怖いのなら、自分の発信する情報を求めてくれる人を探すしかない。
自分が発信源になれば誰も脅さずに、人から求められる工夫をし始める。
人を批判する力のある人は、自分が情報源になる力も知識も備わっている。
愛情が足りなかったのなら自分で求めに行かなければ、
どれだけ相手を威嚇や恐怖で支配しても愛情の欠落は埋められない。
甘え下手の人は自分が多くの人に支えられていることに気がつくこと。
そうして自分を拒絶する人がいるのは、
特別なことではなく、誰にでもあることを理解をしていただきたい。
最後に心から自分を求めてくれる人を探す旅に出て、
他者への精神的な暴力をばらまかないようお願いをする。
投稿がお気に召しましたら、ポチッとクリックをお願いします!
↓いつも応援ありがとうございます。