384182e2a156d34a26a54a13a1d1460e_m
 
 
 
 
 
 
 
 就職活動に口を出す父 

大学4年生になったトモさんは、就職活動をするようになる。

 
もう父はスパルタ教育をするわけではなかったが、
トモさんの就職に関して、
色々と望まないアドバイスをしてくるようになった。
 
成績表を眺めては
「おまえの興味のないところが、如実にわかるな」
という評価をする。
 
その言葉に傷つきはしても、
「はぁ、興味ないですし……」
と答える。
 
この頃すでにトモさんは父親とは、
敬語でしか話さないようになっていた。
本当に上司と部下のような会話だ。
 
最終面接まで行った会社も
「そこへ行くのか?」
と聞かれた。
 
そこは自分の思っていた職種とは違う会社だったので、
「多分行かないのではないでしょうか?」
と言い、自分の希望した出版関係の会社へ勤めることになった。
 
「そこへ行くのか?」
という質問の背景には、
「 もし行くつもりなら、
そこには自分のツテがあるから紹介してやるつもりだった」
ということを、ずっと後になって聞かされた。
 
もしそのときその意図が伝わっていたら、
父の持っているツテを頼んでいただろうか?
と聞くと、
「それは一切ない」
とトモさんは即答をした。
 
 
社会人となり、父親を尊敬する気持ちを取り戻した!
 
東北に住む両親の元を離れ、
関東で自分の選んだ会社に就職をして働き始めると、
「おやじってすごかったんだな」
とトモさんの父に対する想いに、変化が起きた。
深い尊敬の念が、込み上げてきたのだ。
 
だけどその会社は経営状態の悪化で、3年ほどで去った。
 
次に就職したのはサービス業の営業だった。
仕事をバリバリとこなす父がよく言っていた、
「営業は花形だ!」
という言葉が脳裏に焼き付いていたからだ。
 
父の仕事が広告関係だったこともあり、
父の言う「営業があっての広告」なのは本当のことだ。
 
また社会人となったトモさんは仕事人の父に、
尊敬や憧れを取り戻し、
以前から聞いていた父の言葉は、より説得力を増した。
 
だがその職場では人間関係でいろいろとあり、
トモさんがある日起きて職場へ行こうとすると、
吐き気や腹痛などの異常に襲われた。
 
病院へ行くと「適応障害」と診断されて、
そこも辞めざるを得なくなった。
 
それ以来2年ほどアルバイトで生計を立てている。
 
その間父は仕事で関東地方へくるたびに、
再就職に関するアドバイスをしてくれている。
 
20代後半の子供のアルバイト生活を、
親が心配するのは仕方がないことだとしても、
最近トモさんには父のアドバイスに、抵抗感が出てきた。
 
「父のアドバイス通り動いてみたのだけど、
自分の求めている方向へ行っていないと気がついたのです」
と言った。
 
抵抗している相手に、
なぜ父はアドバイスをくれようとするのか?
と聞いてみると、
「恐らく自己満足がしたいのでしょう」
と答えた。
 
人生設計に強いこだわりを持つ父にとって、
計画通りにいかないことは、
すべて「起きてはならないこと」なのだ。
 
自分の息子に起こった「適応障害」という事実は、
父親の人生にとって計画外のことだった。
 
自分にとっての計画外のことが、
これ以上起きないようトモさんへ、
考えられる限りのアドバイスをしたいのだ。
 
常に自分のライフプランに、
息子のライフプランを重ね合わせて、
息子へアドバイスをしてくれるから、
トモさんのやりたいこととは、当然ズレが出る。
 
「想像でしかないけれども、
母とも父が自己満足で動いているという話はします」
と言っていることもあり、
本人は「子供のため」と心から思っていても、
実は「自分のため」だったりすることは往々にある。
 
自分のやりたいと思っていることを、
父に話さない習慣は今も続いている。
 
母には言える心からの「ありがとう」の言葉。
でも父には表面的にしか言えない。
 
両親の住む東北には大好きな友達がいるので、
連休中には必ず帰省するようにしている。
 
その際父と必ず1回は2人きりでドライブへ行ったり、
飲みに行ったりもするけれど、
父の一方的なアドバイスを聞くだけで、
自分の本音を言うことは一切ない。
 
 
自分の思うように将来を生きていたい
 
今までも自分の進路を自分で決めてきたように、
今後も自分で決めるつもりでいる。
 
これから結婚することになったとしても、
自分の決めた人を、連れて行って報告するだけ。
事前に相談をするつもりはない。
 
それほどハッキリとした自分の意思を持っている。
 
それなのに「アドバイスが欲しくない」
のひとことを言い出せないのは、
なぜなのだろう?
 
「父は誰かから反論をされると、シュンとなってしまうから」
 
私の気持ちを先回りしてメールの返信をくれたように、
トモさんには相手の心を読み取る優しさと、繊細さがある。
 
相手が父親となれば、もっと手に取るように
 心理を汲み取ってしまうのだろう。
 
「家庭人としての父はあまり好きにはなれないけど、
社会人の父は男としてとても尊敬している。
だから父には強い人であってほしいのです。
そんな父がシュンとしてしまうのは、かわいそうになる」
 
父親の威厳を子供から壊さないようにすると、
本音は言えない。
 
けれども本音を言わないと、
父が自分の人生に介入してきて苦しい。
そんな強い葛藤が、
前に進む気持ちを疲弊させていた。
 
このままずっとこの親子関係を続けていくことに、
トモさんは危機感を感じていた。
 
 
ブログにて感情を露わにしてみる
 
「父親に対する感情を少し露わにしてみたい」
ということをインタビュー中にトモさんは言った。
 
直接言うと父がかわいそうだと思ってしまうのなら、
ブログ上で感情を露わにしてみてはどうだろう?
と提案をしてみた。
 
するとトモさんは、私の提案を受け入れた。
 
 
「俺のことはもう放っておいてもいいから、
もっともっとお母さんを大事にしてよ!
もっと旅行に連れて行ってあげたり、
なにを言っても聞いてもらえないと諦めている、
お母さんの気持ちと向き合ってあげてほしい」
 
「俺にアドバイスをくれるより
『大丈夫か?』とか、
『頑張ったな』
そんな言葉だけで見守ってくれれば、いいんだよ。
 俺の子育てはもう終わったんだよ」
 
という力強い発言がこぼれ出した後で、
1年くらい前に父がトモさんを訪ねたときの、
父が掛けてくれた温かい言葉を聞かせてくれた。
 
「(適応障害で)体を壊したなかで、
 こうやって生活を建て直したのはたいしたもんだよな!」
と父は言ってくれたそうだ。
 
「あー、こういう言葉をずっと父から掛けて欲しかったんだ」
そう思ったと言いながら、すっきりとした顔で笑った。
 
 
 
 
 
 
 

投稿がお気に召しましたら、ポチッとクリックをお願いします!

↓いつも応援ありがとうございます。

にほんブログ村 家族ブログへ