どんなに強い人でもショックなことが起これば、疲弊します

「あの明るくて強い人が、こんなにも憔悴するなんて」そんな場面を見ると、他者は口々にそう言います。

「こんなに知識があるのですから先生は怒ったり、感情が乱れたりしないのでしょう?」と心理学者に質問していた人がいます。

「とんでもないです。私だって人間ですから。人のことは分析できても、自分の感情は別です」と心理学者は、それを強く否定しました。

大切な人の死が、その最たるものかもしれません

突発的な事故や急病で、突然訪れる大切な人の死。

長患いをしていて亡くなったわけではないのなら、見送る側に心の準備は当然ながらできていません。

いくら当人が好きなことをしながら事故で亡くなったと頭でわかっていても、残された者には気休めにしかなりません。

感情は、理屈や道理だけでは追いつかないものなのです。

どれだけ自分に言い聞かせようとしても、無理なものは無理です

気休めはどこまでも気休めでしかなく、どうしても根本的に癒されるには時間が必要です。

けれども必ず癒される日は訪れます。

いちばんよくないのが自分責めです。

「もしあのときに、行くことを止めていたら…….」「自分がいれば、結論が変わったのではないか?」などと残された者はやり切れなさから、考えてしまいがちです。

けれども四六時中その人を監視するわけにもいかないし、止めたら止めたで本人の意思を阻害したことになります。

あるいは止めることなどそもそも無理で、どうしたってそうなる運命だったと考えるしかないのです。

誰のせいでもない、ただそうなる運命だったのだと。

想定外に起こったハプニングに対するもっとも有効な近道は「しっかりと悲しむこと、休むこと」

人の死だけではなく計画外、想定外のハプニングでショックを受けることは、生きていればたくさん起こります。

私にそういったことが起きたときも、早く元気になりたいので「近道があればいいのに」と思ってしまいます。

そんなときに無理してがんばって元気なふりをしても、いつか揺り戻しがきてしまいます。

眠れなくても、動かずに横になるだけでもいいので、とにかく体を休める必要があります。

また感じた悲しみを出さずに抑えてしまうと、どんなに強い人にも後から揺り戻しが起こるのです。

頭を消耗させる原因追求も後にして、悲しみにフォーカスをして泣きたくなったら泣く。

誰かを恨むのも同じことでハプニングのショックですでに消耗しているのに、さらに恨みで消耗しているときにまともな判断はできません。

ハプニングのショックによる消耗を癒さなければ、筋違いの恨みを抱くこともあります。

とにかく疲れを取って、正常な判断を取り戻すことが先決です。

そうして「時間がかかっても仕方がない」と開き直ることで、焦ったゆえの揺り戻しも少なくなります。


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