ブレてもサッと自分を立て直せるか?の方が大切です

「あなたブレているじゃない?」「そんな考えブレブレじゃない?」ブレることには、とかく悪いイメージがつきまといます。

でも私は「ブレるのはあたりまえ」だと思うのです。

ブレない自分を構築するより、ブレから見えるものもあるかと思います。

見えてくるものを、どのように捉えるか?

またブレによって悪い面が見えてきたときに、サッと方向転換をすることができるか?

そちらの方がブレないことより、大切なことだと思うのです。

メリットとデメリットが、半々の場合がいちばんブレやすい

物事を決めるときにメリットとデメリットの比率が8対2くらいなら、ブレずにいくことは案外たやすい。

けれどももし5対5なら、どうですか?

そうしてそれが必ずしも自分1人の課題ではなかったとしたら、誰かへ相談してしまうこともあると思います。

相談した何人かの意見も、満場一致とは限りません。

ときとしてまたパッカリと、5対5に分かれることもあります。

そこで自分にいちばん適した選択をするのは、とても難しいことだと思うのです。

人はときとして、自分にメリットのある答えへ相手を導く

また相談された人は無意識に、自分へ有利になる答えを相談者へ与えることがあります。

ここで一緒に考えてもらいたいのは、以下のたとえ話にあなたならどんな結論を出しますか?

たとえば配偶者の海外転勤話があって、小学生の子供の学業問題があるけどついていくべきか?

その場所はあまり治安もよくなく、日本で受ける学業も遅れてしまうかもしれない。

けれども子供には幼いうちに、1度くらい海外生活を味わってもらいたい。

そんなときに誰かへ相談すると悪気のあるなし関係なく、賛否両論が起こるかもしれません。

「(報道で見る治安の悪い)あの国へ行ってしまって、子供が連れ去られたらどうするの?」

とか「自分だけで連れて行こうたって、行ける場所じゃないのだからいい機会だと思う」など。

自分1人のことならもっとスムーズに決めることができても、第三者へ影響のあることにブレが起こるのはあたり前だと思うのです。

ブレない人ほどカッコイイ?

ブレない人は確かにカッコイイなと思うことがあります。

だけれども「自分はなにがなんでも、こうだ‼︎」と決めている人ではありません。

ブレることが一切ない人という中には「ただの頑固者」という人もいます。

私が思うただの頑固者は失敗を恐れて方向性を変えず、何度も同じ失敗をくり返す人です。

社会経験の豊富さに裏打ちされたブレのなさと、ただの頑固者では取り巻く社会が大きく変わります。

だからブレない人にも、カッコイイ人とそうでない人がいると私は思うのです。

かっこよく見える人にも、ブレは生じている

けれども一見かっこよさげに見える人にも、ブレがゼロの人はいないと思います。

それはどれだけ社会経験があっても、社会が変わるから。

社会の変化に適応するためには、ブレにぶつかり試行錯誤する必要があります。

ブレずにかっこよく見える人は、大きな失敗になる前に、クルッと素早く方向転換をする達人なのだと思います。

ここで方向転換をすることを「かっこ悪い」と感じて、引くに引けなくなる人とは結果に大きな差が出ます。

ブレる前提を持っていると、ブレにも気がつくことができる

「自分はブレるもんか」とブレないことをモットーにしている人と「自分はブレることもある」と思える人。

どちらがブレによる修正が早いかは、考えなくてもわかりそうなものです。

また人から見て「ブレているじゃない!」と言われたら「そうですね、ブレています」と言える人は、ブレていない可能性もあるのです。

ガタガタと揺れている乗り物の中から、見える景色は当然ブレていますよね?

もしかすると相手がブレているから、あなたがブレているように見えるのかもしれません。

だから自分をブレさせずにいようとする人ほど、ブレやすいということも起こりうるのです。

最終的には物事に対するメリットを、どれほど追いたいか?

前述した海外転勤の話へ戻りますが、どんな結論を出しましたか?

別に正解も不正解もないのです。

ひとつの叩き台として読んでください。

ただデメリットを追えば、どれだけでも出てくるかと思われます。

だからといってその可能性もゼロではないわけですから、デメリットも含めて考えるのは大切です。

一方でメリットである「子供には幼いうちに、1度くらい海外生活を味わってもらいたい」という願望は、どれだけのものでしょう?

  1. もともとそういう願望が強くあったから、この転勤に乗じて実現できるのはありがたい

  2. たまたま降って湧いた転勤話を、ポジティブに受け止めようとして出てきた仮の願望

このどちらかだったとします。

だとしたら1の場合とりあえず行ってみて、様子をうかがうということもできます。

注意して暮らしてみながらも、危険を察知したなら勇気ある撤退を瞬時にすることにする。

また2の場合「なーんだ、そんな大した願望でもないのだから、デメリットを回避できないかもしれない。やめておこう」という結論にも到れるわけです。

もしブレないことを前提にすると「行くって決めたからには、簡単に帰ってきてはならぬ」とか「自分の命を差し出しても、家族の安全を守らねば」という妙な義務感へ話がブレ続けることもあるでしょう。

ブレていい、ブレてから様子を見て

小さなことでもわずかなブレでも、そのまま突き進もうとすると大きなブレになります。

大きなブレに発展させないためにも

  • ブレたなら、ブレが生じた時点に立ち返る
  • ブレた時点での動機が「試す価値のあるブレ」なのかそうでないのか?を考える
  • 最後にブレて結果が悪く出た際の、修正の仕方を考えておく

これだけで、そもそものブレの揺れ幅が小さくなるかもしれません。

また全てを自分で背負おうと、肩に力が入ることも少なくなると思われます。


投稿がお気に召しましたら、ポチッとクリックをお願いします!

↓いつも応援ありがとうございます。

にほんブログ村 家族ブログへ