父の仕事はとても忙しく、国内外の出張も多かった。

めったに子供たちが起きている時間に、家にはいない。

たまに起きている時間に帰ってくると、子供たちは嬉しくてたまらない。

自分の腕につかまらせてグルグル回してくれたり、片足立ちをして時間を計り、兄と私どちらが長く立っていられるか?

そんな遊びをしてくれて大喜び。

 

私は子供のころ偏食で、とても痩せていた。

兄は肥満気味だった。

体が軽い分だけバランス運動は兄より上手にできる。

おまけに父にそっくりな顔で生まれてきた。

父はそんな私を可愛がってくれていた。

兄のことも可愛がっていたので、基本的に子煩悩な人だったと思う。

ヘビースモーカーだった父は1日仕事をして帰ってくると、ヤニや皮脂の入り混じった臭いをさせて帰ってくる。

ときとしてお酒の臭いも漂わせていた。

子供たちは遊んでくれる人が帰ってきて興奮しているのだから、そんなことはお構いなし。父も私たちがまとわりつき、遊びの催促をするものだから、先にお風呂に入ることもできずに遊んでくれた。

 

それが母の癇にさわったのだろう。

いつしか父の悪口ばかりを言うようになった。

 

「パパは臭くて汚い人」

 

すり込みが始まる。

子供は簡単に洗脳されてしまう。

父が帰ってきても

「パパ臭くて汚いからイヤーーー!」

と逃げるようになった。

 

ほかにも

「パパがどれほどママをいじめる悪い人か」

を私たちに言って聞かせていた。

 

そうして父にも

「セリがこんなに悪いことばかりをする。私の手には負えない」

「あなたのこと、セリがこんな風に言っていたわよ」

と自分の不満をさも私が言ったように捏造し、真実と嘘をとり混ぜて伝えられていた。

 

父から

「セリ、ママから聞いたぞ!おまえはそんなに悪いことをしているのか?やめろ!」

自分にはまったく身に覚えのないないことを、事情も聞いてもらえず責め立てられる。

反論する言葉はまだ持っていない。

それどころかなんの話かもわからないこもある。そんなときは唖然とするだけだ。

 

自分は家事、育児で毎日過ごしているのに、帰ってきて子供が父親に懐くのは「いいとこどり」をされた気になってしまっていたのだろう。

寂しい気持ちはこんなことまで、やっかんでしまう。

 

母は家族の愛情を独り占めする裏工作には、余念がない。

親戚の子も、私の友達も全部自分を慕うように仕向けた。

若い頃この裏工作で作戦が成功したからか、今でもこの癖は抜けない。

寂しさを埋める間違った方法。

人の悪口を言うことで、自分をいい人にしたてあげる。

私の夫にも友達にも、私がいない場所で私の悪口を言う。(今ではこんなことをしても夫も、友達も全部私に伝えてくれるので、バレバレだ)

私の離婚問題が発生したときには

「あなたが離婚をしても、私は夫君との付き合いをやめないわよ」

この言葉を言われたとき

「頭おかしいんじゃない!?」

とキレた。

本人にはなんの罪悪感もないのだ。

 

母の思惑どおり私が小学校高学年になるころには、すっかり仲の悪い父子となっていた。

か弱い被害者を装う母をかばい、父にかかって行く私。

父は仕事のため数ヶ月間の長期海外出張などよくあったから、母には子供を洗脳する時間がたっぷりある。

母に愛されるため誰よりも母の要求に敏感だった私は、まんまと父に歯向かっていった。

母の操作に気がつかず、私が反抗してばかりいると信じていた父からすると、さぞかし憎らしい娘だったことだろう。

父の私への態度も冷ややかなものとなった。

 

父の亡くなる2年前。当時両親は離婚係争中だった。

25歳だった私に初めて

「俺はまだおまえたちが小さなころから、あいつ(母)が俺のことを『臭い、汚い』と子供たちに教え込んで、遠ざけたことは許さない!」

と言った。

原因はただ寂しいだけだったのに。

それがどんどん問題を作って、家庭が崩壊してしまう。

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