96eedf6142a226feac14483e1ce931a8_m
パパへ
お天気のいい昼下がりになりましたね。
20年前の今日、私が27歳のときあなたが壮絶な闘病の末この世から旅立ちました。

亡くなるまでの最後の1年で、
あなたと本当の親子の時間を持てたことが、私のその後の人生を支えてくれています。

「現場主義」で有名なジャーナリストだったあなたは、いつも国内外の取材に出ていて家にはいない人でした。

でも子煩悩だったあなたは、家にいて子供達を寝かしつけるときに楽しい遊びをしてくれました。
「全員布団をかぶれ〜!これから世界の旅に出るぞ〜。今アフリカの草原にいる。
像が追いかけてきたぞ!あの像を捕まえて、背中に乗せてもらおう!さぁ近づいてきた!飛び乗るぞ!」

「浜辺に寝っ転がってごらん、満天の星空が見えるだろう?」

そんな空想遊びをしてもらいながら、私たち兄妹は暗闇の中で布団を被りキャーキャー言っていました。
いつも暗くて怒っている母。対照的に明るく遊ばせてくれるあなた。
たまに無茶なことを言っていましたが、私はあなたが家にいてくれるときは、とても幸せでした。
そうしてお茶目なあなたのことが大好きでした。

恐らく私が中学2年生に上がった頃から、私はあなたを憎むようになりました。
それは母がいつもあなたのことを悪く言っていたからではなく、
情緒不安定な母のことを放置して、自分の仕事に熱中していたからです。

そうして私が大学2年生のとき、あなたが「病的なヒステリー」という理由で、
母を離婚調停にかけて争おうとしたときに、私の怒りはピークに達しました。

「なんていうことをしてくれたんだ!あんたは母と別れればすむかもしれない!
けれども離婚係争中や、離婚をした後の不安定な母の情緒の面倒を誰が診ると思っているのだ!」
そう思い、あなたを激しく憎みました。

案の定、母の怒り、愚痴は私が一手に背負わさられることになり、私は睡眠障害になりました。

あなたはいい病院を探すことに奔走をしてはくれましたが、
そんなことよりも私は早く離婚問題に決着をつけて、
もう私にこれ以上母からの危害が及ばないよう、母から私を守って欲しいと懇願していました。

私は背負うべきでないあなたたちの争いの仲裁役として、
年齢にしては大人すぎるしっかりしている部分と、
甘えたいときに甘えられなかったアンバランスな精神性を持つ
「子どな(子供と大人を掛け合わせた私の造語)」として成長しました。

私の子供の部分より、突出した大人の精神性の評価しかされず、
自分を含めて自分の中の幼児性に誰も気がついてはいませんでした。

私はあなたと母との争いから逃れたい一心で、大学を卒業したと同時に早すぎる結婚をしました。

結婚相手も私の「大人の部分」だけを気に入った人でした。
生活では「大きく包み込む母親のような」私しか求めていませんでした。
その人も強い幼児性を持つ相手で「子供同士」の喧嘩が絶えなくなりました。

一度だけではありますが些細なきっかけで喧嘩になり、
胸ぐらをつかまれて道を引きずられ、殴られたとき、
私は自分がなんのために生きているのかが、とうとうわからなくなりました。

そのとき遊びに来ていたアメリカ留学から帰った兄のいるときに、
そのようなことが起きてしまったことも、殴られたショックに拍車をかけました。

そのわずか数週間後に彼は海外へ転勤が決まり、それと同時に私との離婚を突然切り出しました。
全部私が悪かったという理由で、彼、彼の両親ごと私の人格を否定されました。

なにがなんだかわからないまま実家へ帰り、
ひたすら「別れろ!」という電話が彼からかかってくることに怯えていました。

母は「ただの痴話喧嘩だろう」と言い張り、私の説明を相手にしてくれません。
電話を取りつがないで欲しいと頼んでも、受話器を私に差し出し続けました。

彼からの脅迫電話がくるたびに、私は吐きました。
食べても食べても、吐いてしまうので、どんどん体は痩せ細りました。

次第に食べる気力もなくなり、夜は一層眠れずにいました。

憎んでいたあなたが、兄を通じて
「相談に乗らせてくれないか?」と伝えてきました。

あなたと母の離婚裁判が終盤に入り、あなたたちの憎しみ合う様子に耐えられなくなり、
1年以上私は、あなたとの音信を途絶えていたときでした。

自分の夫婦間の問題を一手に私に背負わせていたあなたが、私の問題を解決できるはずがない。
そう思って、まったくあなたのことはあてにしていませんでした。

でも親である以上、一度は経緯を説明しておかなければならないと思い、
あなたとの待ち合わせ場所へ行きました。

しばらくぶりに会うあなたはすっかり白髪が増えていて、少し痩せたようでした。
またあなたもやせ細り、顔色の悪い私を見て言葉を失くしました。

「とにかくなにか食べなさい」
連れて行ってくれたお蕎麦屋さんで、私の大好きな天ぷらそばを頼んでくれました。
けれどもなにも喉を通りません。

なにも喋れないほど憔悴しきった私の身に起きた「ことの深刻さ」を理解してくれました。

そうして兄から私が殴られたことを聞いている、なぜそんなことが起きたのだ?
とこのことで私に「事実の確認」をしてくれた初めての人でした。

私はわがままを言った自分が悪かったのだと言うと、
「そんなわけないよ。どちらか一方だけが悪いなどない。
俺が知りたいのは、2人の抱える問題の根の深さなんだ。彼にも会って話が聞きたい」

そう言って彼と、彼の父親、私とあなたの4人での会談が持たれました。

あなたの問いかけに彼は激しく罵倒しましたね。
私に電話越しに言っていたように、すべては私が悪いのだとあなたの前でののしりました。

終いに彼は
「自分の結婚生活も保てないような男に、俺の事をつべこべ言う資格があるのかよ!」
とあなたに向けて牙を剥きました。まるで話になりません。
そんな彼の一部始終を見ても、あなたは彼に攻撃はしませんでした。

話を終えて別れると、
「セリ、お前はあんな無茶苦茶な言い分に、一言も言い返さず、よーくこらえたね!
俺はセリが心の綺麗な子に育ってくれたことが、本当に誇らしかった」
そう言って嬉しそうにビールを飲み干しました。

そうして
「親の責任というのはね、例え自分の子供が殺人を犯しても
『この子はやっていません』ということではないんだ。
『やったかもしれないけど、その子が殺人を犯すには理由があるはずだ』
と事実を探るのが親の責任なんだ。
それなのにあの親は、自分の息子はなにもやっていないと言っている」

と言って彼ではなく彼の親が責任を放棄している張本人で、彼はその被害者なのだと私を諭しましたね。

そのときはなぜあなたが突然私のことを、これほどまでに私を守ってくれているのかが理解できずにいました。


投稿がお気に召しましたら、ポチッとクリックをお願いします!

↓いつも応援ありがとうございます。

にほんブログ村 家族ブログへ