命がけでわだかまりを解いてくれた、父への感謝状前編はこちらから
そんなあなたの優しさも、疲れ果てた私にはもはや響きませんでした。
電話では「早く別れろ!」と矢の催促がきて、
母からは「一度出て行ったのだから、帰ってくるな」と責め立てられ、行き場がありませんでした。
それから間もなく胃潰瘍の手術をすると偽って入院をしたあなたが、
実は癌だったことを家族の権限で病院から知ることができた母が、私に言った言葉。
「あなたは体を張って、私の離婚を阻止してくれようと帰ってきたのね」
と癌に罹ったことを喜ぶ声が聞こえてきて、私は立ち直れないほどのショックを受けました。
「私のせいだ!私の結婚生活がうまくいかなくて迷惑をかけたから、パパが癌になった。
そうして癌になったことが母を喜ばせてしまったのも私のせいだ」
私が生きていても人に迷惑がかかるだけ。もう疲れた。
とにかく眠れないんだ、食べれないんだ、疲れたんだ、神様もう許してください。
そうして大量の薬を一気に飲みました。
深夜になぜか妹の部屋へ行き、眠っている妹の腕をさすっていたようです。
私の部屋には吐瀉物とともに、数通の遺書が置かれているのを見て自殺未遂をしたことがわかったようです。
救急車で運ばれて命に別条がないことがわかり、帰ってきました。
その翌々日歩けるようになり、母に連れられて行った掛かりつけの心療内科でのこと。
救急病院からの報告書が届いていました。
「あのね、こういうことをされると、こっちも治す張り合いがなくなるから困るんだよね」
という医師からの言葉を他人事として聞いていました。
「ワタシハコノヒトノ ハリアイノタメニ イキナケレバナラナイノデスカ?」
そうして診療が終わり、母と昼食を食べに行きました。
母はとても美味しい和食の有名店へ、連れて行ってくれました。
私は茶碗蒸しがとても美味しく感じられてやっと食べることができ、それを見た母が
「あなたがあのまま逝っていたら、今頃お葬式だったのよね。そうしたらてんてこまいだったわ」
と笑いながら言いました。
生きているのか死んでいるのかわからない自分の精神状態で聞く限り、
その言葉は「死んでいたら食べられないものに出会えてよかったね」と解釈をしていました。
けれどもあなたは、ヤカンから湯気を出すように怒りましたね。
「死のうとした娘になんてことを言うんだ!」と。
「ママは現実問題を考えてしまうのよ。お葬式の手はずとか整えないといけないって。
悲しんでなどいられないって」
「それがアイツの許せないところなんだ!なんでも自分自分って!」
「セリ、二度としないと約束してくれ。お前が死んだら俺も死ぬぞ!」
私はなにも答えられずにうつむきました。
それからあなたはなるだけ私と母との接触を避けるよう、
今まで一度も招いたことのない、あなたの部屋の家事全般をしにくるように言いましたね。
私は最初とても戸惑いました。あなたに別の女性がいることを知っていたからです。
必死で隠していたことも知っています。それが裁判の負けにつながるからです。
そのリスクを冒してまで、私を母から遠ざけようとする覚悟を感じました。
そうして私が作る料理を喜んで美味しそうに、食べてくれましたね。
私はもう誰も喜ばせることなど、自分にはできないと思っていました。
ときには妹も連れてビデオを観たり、一緒に食卓を囲んで賑やかな時間を過ごすうちに、
少しずつ私も元気を取り戻していきました。
クリスマスには久しぶりに兄妹3人であなたの家へ集まり、プレゼント交換や団欒で楽しみました。
もうその頃あなたは食も細くなっていましたが、とても楽しそうでした。
昨日のことのように覚えています。
決して弱音も吐かない、涙も見せたことのないあなたが一度だけ泣きましたね。
癌が転移した可能性があり、それが本当ならもう助からないということを打ち明けてくれたときでした。
治ると信じていた私は、うろたえました。
「イヤ、そんなの許さない。パパは絶対に死なない!やっと仲直りしたのに。どうして私の前からいなくなるの!」
と、あなたを責めました。
「パパだってもっと、君たちと一緒にいたいよー。
久しぶりに家庭の味も味わったんだ…….」と言って泣き崩れました。
あなたは一人が好きなのだと思っていました。本当は寂しかったのを我慢していたのですね。
「私なんかが生きていたって誰の役にも立たないけど、パパは親戚一同のヒーローなんだよ。
親戚の誰もがパパの活躍を誇りに思って、頼りにしている。まだまだ死んではいけない人なの!!」
そう言って2人して泣き続けましたね。
あなたがいつも「早く帰りなさい」と言っていたのは、女性と連絡を取るためだと思っていました。
けれども本当は情が湧いて、私が帰った後が寂しくなるからだったからなのですね。
その日も「さぁ、もうそろそろ帰りなさい」
とグシャグシャな顔のまま、私に帰るように言いました。
私も席を立って帰ろうとしましたが、思わずあなたに抱きついてしまいました。
そんなこと子供の頃に抱っこをされて以来でした。
「死なないでよー、おねがいー」
赤ちゃん返りをした私を、あなたは震えながら強く強く抱きしめてくれました。
あなたは亡くなる3週間前まで会社に病状を隠し、仕事をしていました。
2カ月前には会社の側に部屋を借りて、一緒に暮らすことができました。
私は自転車のカゴにあなたの鞄を入れて、毎朝一緒に駅まで歩きました。
でも同居は1カ月もできず、抗がん剤治療で入院したつもりが病状が悪化して家へ帰れなくなりました。
完全看護とはいえ、24時間誰かが付き添うよう病院から言われました。
私が主となり妹、兄の交代で詰めていました。
私が夜通し眠らずに付き添っていると、
「少し眠りなさい。これから長丁場になるんだから体力が持たないぞ」と言うので私は冗談で、
「大丈夫だよー。こんなときこそ不眠症が役に立つよ!」と笑いながら答えました。
するとあなたは「パパのせいだろう?」と寂しそうに答えました。
一瞬言葉に詰まりましたが「違う、私が弱かっただけ」と答えると、安心したように眠りに就きましたね。
そうして意識が明白なうちに、あなたと交わした最後の会話があります。
「君が持っていて他人が持っていないもの、それは『真理を見抜く目だ』君はこの力で人を助けるといい」
この会話を交わしてから2週間ほどして、あなたは天国に旅立って行きました。
まさかこれが最後の会話になるとは、思っていませんでした。
この後痛みが激しいので意識レベルを下げる強い投薬をされて、ここからは幻覚との戦いになりました。
妹と交代して病院の近所のビジネスホテルで仮眠を取ろうと病室を出るときに、
「パパ、明日の朝早くにくるから待っていてね」と小さな声で囁くと幻覚から一瞬覚めたのか、
「パパも…….連れて帰ってくれないか?」そう言われたときは、胸が張り裂けそうでした。
「もうすぐ元気になるよ。そうしたら一緒に帰ろうね」と言うのが精一杯でした。
連れて帰ってあげられなくて、ごめんね。
20年前の今日10日ほどの危篤状態を経て、妹の誕生日に日付が変わる数分前に息を引き取りました。
誕生日がくるたびに妹が悲しい思いをせずにすむよう、急いで逝ったのね。
後悔があります。意識があるうちに、あなたにお礼が言えなかったこと。
最後の1年間で私はあなたとの空白の時間を、埋めることができました。
そのおかげであなたを憎んだままお別れせずに、すみました。
そうしてあなたが必死になって私を守ってくれたおかげで、
私は今元気で毎日がんばっています。
私はあなたから「好きな仕事をするのは楽しいことなのだ」ということを学びました。
遅いスタートですが、私はあなたの背中を追いかけています。
そうして私にもし「真理を見抜く目」があるとすれば、それは今の仕事で生かせるはずです。
私もあなたのように死ぬ間際まで、好きな仕事をし続けられるようあがきます。
あがいて、あがいて、納得の行く人生を全うすることを誓います。
たくさんの愛をありがとう。 セリより。
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