「お金を貯めるということは、選択肢を増やすということです!」
これは経営コンサルタントが経営上の心得として言った言葉だけれども、個人にも通じる。
「いいものは高い」ということはわかっている。
そうしていいものだと分かるのも、それを使ったことがある人にしかわからない。
値段ばかり高くてちっともいいとは思わなかったというのも、高いお金を払ったから言えることだ。
少なくともそんな人たちはその商品や、その商品を作る会社にはもう寄り付かない。
またある人はいいというものが、誰にでもいいとも限らない。
自分にとって最適なものを探しだすには、必ず「資金」というものが付きまとう。
そうして安くても自分にはこれが最適、またはこれだけは高いお金を払ってでも代わるものがないことを知る。
自分の家の隣人が騒音を立てたり、迷惑行為をする人たちがいるかもしれない。
持ち家で家計がローンでいっぱいいっぱいなら、どうにもならない。
賃貸住宅でも引越し資金や、新たな敷金礼金が払えなければ我慢をしてそこへ居続けるか、問題のある人たちと戦わなければならない。
自分が悪くなくても、誰かのために膨大なエネルギーを消耗することになる。
たとえ悔しくてもお金があれば「そこから逃げる」という選択肢が生まれる。
お金を貯めることができない人は「収入が低いから」と言う。
けれども収入が低くても悲愴感もなく、上手にお金を貯める人もいる。
どれだけ収入が高くなっても間口を広げてしまえば、お金なんかいくらあっても足りない。
貯められるか貯められないかではなく、いざというときに選択肢があるかないか?を考えたことがあるだろうか?
お金がいつもギリギリで生きていると、精神的にもギリギリで生きることになる
お金が貯められない最大の問題は、選択肢が少なすぎて(あるいはなくて)パニックを起こしてしまうこと。
そうして精神が卑屈にねじ曲がってしまうことだと思う。
選択肢の多い人を妬み、奪うことで頭がいっぱいになってしまう。
20代の初期に生まれて初めて、お金のない時期があった。
「この人と一緒にいれば得をするかも?」といつの間にか無意識に損得勘定で、人付き合いをしていた。
そのときの私は「まだ若いから」と許されていたけど、人から奪おうとする自分の浅ましさが嫌いで貯金を始めた。
2つだけ全力投球! 〜パレートの法則を使った日々の時間術、貯金術
「最低でも100万円は貯めて絶対に崩さない」と決めていた。
100万円あれば災害などが起きてホテル住まいをしても、数ヶ月は生きていけるという安直な計算だった。
101万円になるまで、最低限の衣食住以外のお金を使わない。あるもので済ませる。
101万円になったら、1万円使っていい……いつも最低でも100万円持っていることを目標に、数年間だけ頑張った。
そうして年とともに、最低預貯金額を少しづつ上げて行った。
貯まったときに思ったのは「物はなくてもなんとかなるけど、お金がないのは精神が病む」ということだった。
だから今でも物に対しては、あまり欲がない。
どちらかというと物として残らない「心を喜ばせる」ことに、お金を費やしている。
「お金がなくてやりたいことができない」という人は「お金がないのは選択肢がない」ということだと気付いてほしい。
選択肢がないのは、自由がない。
自由を選ぶ力と心に余裕を得るために、お金を貯めるのだ。
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