崖っぷちに追い込まれて、初めて人は立ち上がる

「火事場の馬鹿力」という言葉があるように、人は崖っぷちギリギリまで追い詰められなければ、自ら大きな行動は起こせないのではないか?と、ある人の話をときどき思い出すのです。

若い頃は大人に混ざって話を聞いているのが、とても好きでした。

大人の話ですから、お金の話も出てきます。

「〜の会社が倒産しそうだと借金を頼まれたが、断ると『俺を見捨てるのか?』と言われたよ」など、まだ若い私にはスケールの違う、大人の会話を聞いているのが楽しかったのです。

大学生だった私はそのときに「えっ?」と言葉にならない反応をしたようです。

するとその人は「今貸しても焼け石に水なんだよ。中途半端に生き残るより、どうにもならないほど追い詰められないと、人は立ち上がれないもんなんだ。そこまで待ってから助ける」と私に諭してくれました。

恵まれているからといって、誰でも助けていいわけではない

「借金を頼まれた」と言っていた人は当時で年齢が60歳を過ぎていて、私の父が若いころから指南役として父親のように慕っていた人でした。

幼いころから会う機会が多く、とても陽気なおじさんで終生独身を貫いた人です。

子供がいなかったせいでしょう。

誰かと会って食事をする大人の席に「孫です」と言いながら私を同席させてくれていました。

そのおじさんが私を呼び出すときに、言っていたことがあります。

「今はつまらないかもしれないけれど、セリちゃんが大人になったとき『おじさんがあんな話をしていた』という記憶は、必ずセリちゃんを助けてくれるから」と。

親でもない指導者でもない大人の話を聞く機会が、若い時期にあったことを今でも楽しい思い出とともに感謝するのです。

父親から聞いた限りその人は、天才的なビジネスセンスの持ち主で、親から引き継いだ不労所得をなん倍にもした大金持ちだったそうです。

40代までがむしゃらに働き、自分が死ぬまで生きていくための十分なお金を稼いだと聞きました。

50代からは経営者たちの相談に無料で乗り、社会貢献をすることを10代から決めていたということです。

「自分は親から引き継ぐものがある幸運の星の元に、たまたま生まれた」と言い「お金があるからと言って、助ける相手とタイミングを選ばなければ、相手を滅ぼす手助けをしてしまうんだよ」とも言っていました。

そのままで行ける限り、人は力を発揮しない

自分の人生を振り返っても、なんとかなる間は動いていませんでした。

動く必要がなかったからです。

うまく折り合えない母親と離れるようにと、どれだけ多くの人たちが助言をしてくれても、離れませんでした。

パニック障害になり自分を差し出す気力も体力もなくなって、やっと母と離れることを真剣に考え始めました。

それまでは居住地さえ離れていれば大丈夫だとか、毎日会うわけではないのだから、そのときくらい優しくできるとタカをくくっていました。

早くに両親を亡くして寂しい思いをした母に、幸せな人生を送ってもらいたい。

兄妹のなかでいちばん母の考えていることを手に取るようにわかる私が、受け皿になれると傲慢にも思っていたのです。

中途半端な受け皿で母の心を中途半端に満たしてしまい、自力で幸せになる力を奪っていたことに気がつきました。

そうして自分自身も不満でいっぱいの母を心配する気持ちや、怒りで蝕んでしまい、このままではどちらも幸せにならないと感じました。

私が私を健康で幸せにしてあげること。

それが引いては母の幸せにつながり、母が本当に崖っぷちに追い込まれたときに助ける力になる。

借金をさせてもらえないという筋合いのない恨みを買ってでも、相手を根本から救う方法を知っていたおじさんから学びました。


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