パニック障害を患っていた5年前の話。
ある日、歯の詰め物が取れてしまった。
神経がむき出しになって、痛くてしかたがない。
発作がいつ出るのかわからないので、外へ出るのはイヤだった。
けれども舌が当たるだけでも痛いので、20代の頃から診てもらっている歯科へ行った。
とは言ってもそこを訪れるのは、実に13年振りだということを受付で言われた。
すっかりごぶさたをしてしまい、恐縮しながら先生に会う。
とてもエネルギッシュで明るい先生に久しぶりに会い、気持ちが和んだ。
レントゲンを撮るために、衛生士さんに連れられて小さな個室へ入ることになった。
当時はエレベーターや、窮屈な場所へ閉じ込められるのが恐怖だった。
レントゲンを撮ってもらわなければ、治療をしてもらえないだろうから必死で耐えた。
ほんの2、3分のことだけれども、ものすごく長く感じられた。
いつの間にかレントゲン室の、のぞき窓の外から先生も一緒にのぞいていたらしい。
個室から出てくると「前から狭い場所ってダメでしたっけ?」と言われた。
撮影中、後ろ姿しか見えていなかったはずなのに、私が固まっていたことに気がついていた。
「いえ、最近パニック障害になってしまってから、狭い場所がダメになりました。でも大丈夫です」
と言うと「大丈夫って言っている人が、いちばん危ないんだよな」と言われた。
「イヤね、子どものころ親から『大丈夫だから〜しなさい』って無理強いされると、我慢する癖がついてしまうんですよ」と続けた。
先生によると、子どもが恐怖を感じているのに親が受け止めず「大丈夫だから」と言われてきた子どもは、無理をする傾向が強いのだそうだ。
本来なら「なにかあったら守ってあげるから、大丈夫だよ」と保護してほしいのに、突き放されてしまっているから人を頼ることをしなくなる。
そういえば私はいつも「元気だ、大丈夫だ」と言ってきた。
学生時代、落ち込んでいるのに「元気?」とクラスメイトに声をかけられると「元気!」と答えていた。
事情を知っている仲のいい友人はそれを見て「あんたぜんぜん元気じゃないのに。オウムじゃないんだから!」と苦笑いしていた。
ずっとそうやって生きてきてしまったのだ。
しかも先生によると我慢強い人ほど、他者から頼られて甘えられてしまう。
依存的な人たちから、つぎつぎと無理難題を押し付けられてしまう。
自殺者に多いのもこのタイプだそうだ。
苦しいのに誰にも頼ることができない。
自分で抱え込めない人の問題を「大丈夫、大丈夫」と言いながら1人で引き受けてパンクする。
「大丈夫って言っている人は自殺する直前までニコニコしているんだよ。だから『もう死にたい』って言う人ほど死なないものなんだ」
なんだ。我慢強いなんて、ちっともほめ言葉じゃないじゃない。
人からバカにされて、いいように使われて、死にたくなるのは私?
冗談じゃないわ、カッコ悪すぎ!!
それ以来私は大丈夫じゃないときや、元気じゃないときは助けを乞うようになった。
「大丈夫なの?」→「大丈夫じゃなーい、助けてー!」
「元気?」→「元気じゃなーい、約束の日だけど今日は休む。ごめんなさい」
たったこれだけ言えるようになるまで、何十年かかったのだろう?
でもこれが言えるようになるだけで、どれほど人生が楽に変わっただろう?
そうして自分も人に大丈夫かどうか、わかりもしないのに「大丈夫だから」という言葉を安易に使わなくなった。
そんな保証はどこにもない無責任な言葉だからだ。
無理だと言っている人に対して「もっと頑張れ」とプレッシャーをかけることになる。
きっと長い期間お会いしていなかった先生に、私の変化は顕著に映ったのだろう。
近しい人たちには気がつかれなかったことも、気がついてくれた。
皆さんも「大丈夫、大丈夫」と言いながら、誰かのためにギリギリまで我慢をしていないだろうか?
怖がっている相手に無責任に「大丈夫だよ」と無理強いしていないだろうか?
まずは自分が「大丈夫じゃなーい!」と正直にホールドアップ(降参)して、早く楽になりましょう!
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