「○○でいい」の選択を取り続けると⁈
親子でも他者とでも、共依存関係に陥りやすい人たちの発言で「○○でいいや」と言っているのを耳にします。
これは親から「我慢しなさい!」の刷り込みをなされた人が、よく使うキーワードです。
本来の望みと離れたことをする際、自分を納得せさるため言い聞かせてきた言葉。
何氣なく使われている言葉でも癖になってしまうと、自分の軸がブレやすくなるので好ましくない言葉づかいです。
ベストとセカンドベストでは雲泥の差がある
日本語にはない言葉に英語には「セカンドベスト(second best)」という言葉があります。
皆さんも知ってのとおりベストは「最高」だとか「最善」でナンバー・ワンの意味があります。
その次の候補を「セカンドベスト(2番目の最高、最善)」と呼びます。
「○○がいい」はいうまでもなく最高、もしくは最善の選択です。
また「○○がいい」という選択肢は最終的には1つに絞られます。
「次の旅行先どこにする?」でも「有名大学に複数合格したけれど、どこへ行こう?」。
そんな夢のある話でも費用、時間、そうして体は1つという限定条件が出てきます。
そうなると複数ある選択肢でも同時に2箇所は行けないので、最終的にベストへ絞られます。
そうして次にセカンドベスト以下の、選択を始めるのです。
セカンドベスト以下の選択肢は、大して変わらないのです
セカンドベスト以下の選択肢を考え始めると、実は「どうでもよかった」ということが多いです。
それはベストが本当にベストな選択であれば、催行した時点で氣持ちが満足してくれるから。
肉食獣が獲物を食べて満腹になると、草食獣が目の前をゆっくり歩いても襲わないのと似ています。
もしセカンドベスト以下の選択肢も欲しがるようであれば、それはベストの選択が的外れだった可能性があります。
脳はいくつもの情報を、同時に処理できないようになっているからです。
「○○でいい」は消極的「○○がいい」は能動的
実際に想像してみてくださいね。
「ケーキにする?プリンにする?」といった選択を迫られたとき「ケーキでいい」と言葉で発するのと「ケーキがいい」と発するのでは、ニュアンスが大きく変わる氣がしませんか?
「ケーキでいい」だと消極的な印象を受けます。
「ケーキがいい!」だと自発的で能動的な印象を受けます。
その印象ごと体や脳へインプットされるのです。
このニュアンスの差は「満足感」へ繋がります。
「自分はベストの選択をしたのだ」と感じるのと「自分は妥協した選択をしたのだ」と感じるのでは、自己肯定感(自分を認める力)にも影響します。
毎回自分は妥協していると体感していては「自分なんてロクなもんじゃない」と考えるようになりやすい。
けれども「毎回自分の満足のいく選択をしている」と自ずと刷り込み続けるだけで、自信は満ちてきます。
「○○でいい」には被害者意識も芽生える
「○○でいい」と発している以上、常にセカンドベスト以下を選択している状態です。
常にセカンドベストで妥協をしているのですから「本当は○○がしたかった」という願望がくすぶります。
「子供の教育のためなら、自分はみすぼらしい格好でいい」とか「健康のためなら、粗食でいい」と字で表すと我慢や諦めている部分が見え隠れしませんか?
それより「子供の教育のためにも、高くなくてもきちんとした身なりがいい」。
「健康であるために粗食がいい」。
あるいは「みすぼらしい格好をするくらいなら、子供の教育費用は少し抑えたほうがいい」。
「粗食でストレスを溜め込むくらいなら、たまには豪勢な食事が食べたい」といった考え方もできるでしょう。
このように「○○でいい」という選択肢は願望を押し殺す作用があります。
押し殺す選択を続ける限り、ストレスは増大していきます。
そうして限界を迎えると「誰のために我慢していると思っている!」といった被害者意識を生み出すのです。
これでは我慢をしてきた目的も台無しになりますし、誰も幸せにならないのではないでしょうか。
ベストをワガママだと考えている?
依存を受けやすい人は先に相手へ選択を譲り、残りの選択肢を受け取ることが依存されない人より多く見受けられます。
誰かを守るため、何かを成し遂げるため、誰かの希望を叶えるため……。
ベクトルが常に、他の誰かへ向かっています。
また我慢をしない自分をワガママだと考えていたり、ベストな希望を伝えて断られることを恐れる傾向もあります。
そうして「どうでもいい」選択肢を自分へ与え続けて、どうすれば自分が満足できるのかも見失っていきます。
なに氣なく発している言葉だからこそ、今から修正を
「○○でいい」と発している人は小さな癖として、なに氣なく使われていると思います。
けれども潜在、顕在意識どちらにも働きかける、強いパワーのある言葉だと私は思っています。
今日からでも意識をして、すべての選択肢を「○○がいい」へ変えてみてはどうでしょう?
また癖ですから思わず「◯○でいい」と言ってしまうことも、最初は出てくるかもしれません。
その際でも慌てず騒がず、すぐに「○○がいい」に言い換えれば、脳は訂正文を覚えてくれます。
最高、最善(ベスト)の欲求を限定して、言葉に発することで意識が深まります。
しっかりとベストを意識しているわけですから、的外れなセカンドベストを願っているより叶いやすいと思いませんか?
習慣になるとベストな選択をし続けるわけですから、自分本来の欲求がブレることも少なくなりやすいでしょう。
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