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夫婦、親子、友人……人と人が話をしていれば、必ず意見の相違というものが発生する。

最初は自分の意見を「わかってほしい」だったのが徐々に話をしていると「わかれ!」
に変わるということも、あるのではないだろうか?

そんなときは怒りが生じるけど、回避法として「黙る」ということをご提案したい。
これ以外にここを上手に切り抜ける方法はない。

ここでは怒りを一度封じ込めるために黙るのだから、露骨な無視や、
ムカつきを表情に出しながら黙ってしまっては、モラハラになってしまうので火に油を注ぐ。

悔しくても、ここで負けず嫌いを発揮してもどうにもならない。

お互いに「自分の意見が正しい」と主張し合うことは、
それを受けた相手からすると「自分の考えは間違っている」と非難を受けた解釈に変わる。
この感情が片方だけはなく、双方で起きているのだ。

非難を受けるということは、攻撃を受けたことと同じ心理だ。
議論をしているつもりでお互い話をしているのだけど、議論などではない。
攻撃しあっている、戦争をしていることになる。

攻撃を受けてしまうと、誰だって悔しいから反撃せずにはいられない。

自分の主張が世間から認めてもらえず、
考えに自信が持てない人ほど自分の考えの正当性をしつこく、強く主張する傾向にある。

主張をされている側も相手の主張が強いし、
しつこいことで、相手を押さえ込もうとする力も発生する。

そこで怒る気持ちを引っ込めて、
「ごめん、今自分は怒っているからロクでもないことを言ってしまう。今は話せない」
そう言って「これ以上攻撃性を出さない表明」という意味での白旗を揚げて黙る。

こうすることでどちらか一方が怒っていたり、攻撃されていたことではないことに気がつくだろう。

気がつかず「相手が間違っていて、やっと否を認めた」と勘違いをして、勝ち誇る人も稀にはいる。

それは俗に言う困ったちゃんだ。

困ったちゃんは、治せない。
相手のどんな言い分にも耳を貸さない。
自分の主張が受け入れらるまで、ずっと攻撃の手を緩めない。

困ったちゃんとの話し合いほど、不毛なものはない。
困ったちゃんに対しては、
「困ったちゃんとやり合わなくて、エネルギーを消耗しなくてよかった」というだけだ。

その後の付き合い方も、考えなければならない。
困ったちゃんを相手に「話せばわかる」と思っていた自分が、
そもそもの間違いだったと反省をする必要がある。

黙った方にも十分メリットはある。

そのままやり合っていたなら冷静さを欠いて、
ひどい言葉の暴力を感情に任せて発してしまい、一生消えない心の傷を相手に残すことがある。

そのことで相手からは信頼を失い、
大好きな人が離れてしまうような打撃を与えてしまっていたかもしれない。
それは自己嫌悪につながり、最後は自分を毒することになってしまう。

それをやってしまったか、やらないかったかでは、
相手との関係性も、自分自身への自己評価も大きく変わる。
相手のためではなく、自分のために相手に謝って、黙るのだ。

攻撃を受けて冷静ではなくなった人間は、必ず反撃をする。

自分が冷静になることで、
相手にも冷静になってもらえるチャンスが出てくるということを、
相手が大切な人であればあるほど、知っておく必要がある。


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