メイクが私の人生を変えてくれた 〜醜形恐怖症からの脱出前編はこちらから
夫との出会い
Rさんが夫となる人と出会ったのは、
友人の結婚式の二次会だった。
2歳年上の彼は金融機関に勤める人。
話もよく合い意気投合した。
それまで定職に就かないバンド仲間ばかりと
交際してきたRさんには、彼がとても新鮮に見えた。
結婚など考えてもいなかったけど、
27歳になったRさんは、
結婚を意識する適齢期の彼と出会ったことで、
自分のなかでも現実的なものとして考えるようになった。
Rさんの両親に彼を会わせると、
彼の職業と、その誠実そうな人柄を大変気に入り
「すごくいい、結婚しなさい!」
と強く勧められた。
Rさんもまた親がこんなに気に入ってくれるなら、
この人との結婚は親孝行になるかもしれないと思い、
話を進めた。
出会ってわずか半年で結婚をすることとなる。
「遠距離通勤も、暴力も引き寄せてしまったんですよー!」
新婚生活が始まった。
結婚直後から、夫はRさんが彼に口答えすると暴力を振るった。
奥歯が折れてしまうほどの激しい暴力だった。
お化けのように顔は腫れ上がり、身体中あざだらけになった。
親と同じように体裁を気にする夫は、
Rさんが110番しようとすると受話器を取り上げたり、
家の電話を切ってしまっていた。
それでも仕事は休まなかった。
原付で通勤していたので会社には、
「バイクで事故った」
と言いながら、お化けのような顔でも通勤していた。
自宅は夫の職場の近くに住んでいて、
自分の通勤には1時間半かかる場所に住んでいる。
また口答えていどで暴力を振るう夫は、
幼少期に暴力を振るう父親とまるでそっくりだった。
「父親がやっていたことと同じことをする人と、
結婚していました。引き寄せるんですよー!」
とRさんは悲しそうに笑った。
なぜ離婚しなかったのか?
経済的に自立をしている女性がなぜ、
暴力夫と離婚をしなかったのだろう?
疑問に思って聞いてみた。
まず第一に親から「離婚しないほうがいい」と言われたから。
お堅い仕事に就いていると、それだけで株が上がる。
私を含めた親の世代は特にそうだ。
公務員、士業、大手企業に勤める者の、親世代からの信望は厚い。
次に子供のため。
Rさんの親はRさんが30歳を過ぎたころ、
父親の事業が傾き倒産した。
その直前に私財を守るため、親は計画的に離婚した。
Rさんにとって計画的なものだとわかっていても、
親の離婚はとてもショックだった。
そうしてそのショックを、
2人の子供たちに味わわせたくないと思った。
それと自分が家庭に意識を向けない人間だったのが、
離婚する必要がなかった最大の理由だと言う。
Rさん自身が子供のころ親からつらい目にあい、
家庭というものに憧れも執着もなかった。
自分の娘を「ブスだ」と平気でののしって、少しの口答えで殴る父。
父親から目の前で殴られていても、ただ見ているだけの母。
痴漢にあっても「あんたがちゃんとしないからだ」と言って、
被害者なのに加害者扱いされた。
そんな家庭に真っ向から意識を向けたのなら、
とっくに壊れてしまっていただろう。
意識を向けないというより、Rさんのサバイバルとして
向けられなかったのだと思う。
Rさんの見出した夫婦関係
子供2人を出産をして太った体型は、
すぐ元には戻らなかった。
それが醜形恐怖症を引き起こし、極端なダイエットに走った。
ほとんど拒食症レベルまで陥り、
このままではダメだと夫の暴力に耐える日々ではなく、
仕事に情熱を傾けることにした。
Rさんは2人目の子供が3歳になったと同時に
出産してから専業主婦に徹していたことを返上し、
仕事を再開した。
夫が
「自分に迷惑がかからないのなら、なにをしてもいい」
と言ったからだ。
そこでRさんも条件を出した。
「自分も迷惑をかけないけど、あなたも迷惑をかけるな!」
自分の交友関係や仕事に、一切口を出さないこと。
それらを条件に自分も家計にお金を入れるからと、
現在も続けている専門職の派遣の仕事を始めた。
人に見られる場へ出ることで、
メイクもファッションもより一層磨きがかかった。
家具のような夫
「夫は家具のような同居人なんですよ」
現在は家庭内別居の状態で生活している。
子供たちを育てるための協力者同士として存在している。
夫になにも求めない。
家にいても食事は夫の部屋へ運び、
もう何年も一緒に食卓を囲んでいない。
Rさんが仕事で遅くなるときは、
先に帰った夫が子供たちと一緒に団欒しているから、
自分は食事を温め直すだけの状態にして出かければいい。
夫は自分のいない間子供たちと交流を持てているし、
留守中勉強も教えてくれているようだ。
夫のおかげでRさんは仕事帰り安心して
趣味や友人と楽しむ時間が作れているので感謝をしている。
子供たちの養育費や、生活費はすべて折半。
子供たちの大学入学を機に、
全員が1人で暮らすことになるかもしれないと言った。
「私は両親が亡くなれば天涯孤独になるのだと、
子供のころから覚悟をしています。
自分の子供も1人で暮らしてみたいと言うなら
尊重も協力もするし、
再び一緒に暮らしたいと言えば
それもよしとするつもりでいます」
流動的でしなやかな関係性
Rさんの「家庭に意識を向けない」という言葉は、
寂しいことでも冷たいことでもなく
たとえ自分の子供であっても一定の距離を置くこと。
コンプレックスもトラウマも、誰をあてにするでもなく、
自分自信で克服することで強くなっていった。
自分の考え方の特徴を上手に活かし、
自立した存在であることを家族に示した結果、
「流動的でしなやかな」
家族との関係性を作り上げたということだった。
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