ずっと疑問に思っていたことがありました。

昔から人の話を聞くのは、苦ではありませんでした。

ショックなことがあった友達から深夜に電話がかかってきて、朝まで相談に乗ったことも数え切れないほどです。

深夜に電話をかけてくるということは、よほどの緊急事態なのだと解釈をしていたのです。

また「自分が、自分が」と自分の話を聞かせてこようとする、年配層の人たちの話も真面目に聞いてきました。

当時は「聞いてくれる人がいないのだろうから、聞いてあげたほうがいい」と思っていました。

決して手柄が欲しかったわけではありません。

相手がそれ以上ひどい状態に陥らないようにすることは、ご縁を大切にすることだと思っていました。

そうして私も人へ相談に乗ってもらって生きてきていますから、生きていくうえでお互いさまなのだと思っていたのです。

始まる始まるモンスター化

誰もがそのときは「聞いてくれてありがとう」とニコニコで話を終えます。

また年配層の人たちも、私と話すのを楽しみにします。

ここまではいいのです。

その後これらの人々はご多分に漏れず、モンスターに豹変します。

緊急な用もないのに深夜に電話をかけてきては、延々と自分語りをして、こちらの話や都合には興味を一切示しません。

「自分を楽しませる話をしてほしい」と言わんばかりに、私が真面目な話を始めれば急に不機嫌を隠しません。

指図がましい発言もしてきますし、ご丁寧に私の悪い部分の指摘までしてくれます。

年配層も同じこと。

それどころか今度は、食事の相手や買い物の手伝いなどを要求されるのです。

お互いさまなはずだったのに、いつの間にか主従関係を構築されてしまうのです。

当然その人たちとのご縁は、途絶えます。

ご縁を大切にと思っていたことがそもそもの間違い

結構前の話になりますが、ある方にそのことを相談すると「自分を下げすぎている」と言われました。

それまで私は「困ったときはお互いさま」のつもりでやってきていたので、対等なつもりでした。

しかしそうではなかったようです。

「緊急事態だから聞いてあげねば」と深夜の電話に出ることも、年配層の話を聞いてあげることも私の義務でも喜びでもなく、ただ自分を下げることだったのです。

自分で自分を下げてしまえば、相手は上になってしまいます。

主従関係が構築されてしまうことだって、私がそう仕向けていたことになります。

私が人の話を聞くのが苦ではない性分だったことと、ご縁を大切にするのは「よいご縁に限る」ということがわかっていなかったのです。

それをきっかけにプライベートでは、よいご縁しか残さないようにするようになりました。

けれども仕事では、まだまだ甘い。

「仕事なのだから、どんなご縁も大切にせねば」という概念が、まだ残っていることがわかりました。

どんな関係性も上下関係ができた時点で、支配する側とされる側ができてしまいます。

私がクライアントさんに対して上になっても下になっても、ご縁は途絶えることでしょう。

またクライアントさんも対等でいてくださらなければ、私のできるアドバイスに聞く耳は持てないでしょう。

「同じ土俵に上がらない」それは上がっても上がらなくても、無理を要求する相手が出現した時点で、ご縁を途絶えさせるということだったのですね。


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