家族問題のなかでいちばん多い相談 〜親との同居 前編はこちらから
同居を決める前に、夫婦で話し合っておくべきこと
親世代にとって自分の子供と孫に囲まれて、人生の最期を過ごすことはこれまでの人生の集大成を意味する。
老人は徐々に赤ちゃんと同じ状態へ戻っていく。
赤ちゃんが親の愛情なくして生きていけないように、子供へ無意識に親同然の愛情を求めることが多い。
ただ子供の目線から見ればあくまでも「親は親」だ。
ましてや自分が産んだわけでもないから「親が赤ちゃん」だということに意識を切り替えるには、子供の精神的な成熟度が関わってくる。
成熟度はすなわち「自律心」だ。
自律心がきちんと備わっているかどうか、夫婦で互いを客観視して話し合う必要がある。
過去の自律心について書いた記事↓↓↓
自律をしていない親世代との同居はどうなるか?
子ども世代、親世代が、精神的自律を果たしているだろうか?
孫世代は別として「自分のことは自分で」という原則が守れないのなら、同居は厳しい。
親世代が精神的自律を果たしていなければ、子ども世代を「無料のヘルパーさん」だと勘違いしてしまう。
無料のヘルパーさんになってもらうためには、元気でいてはならない。
常に「動悸がする」「めまいがする」などなど不定愁訴という病気を作りだす。
子ども世代たちに優しくしてもらいたい、気を引きたい、楽しませてもらいたいという心理が不定愁訴を引き起こす。
また実際に一緒に住み始めた安心感から、急に認知症が始まったり進んだりもする。
すると家族総動員で24時間体制で、介護をしなければならなくなる。
こうなると仕事をしている場合ではなくなってしまう。
自律をしていない子ども世代との同居はどうなるか?
あこぎな話になってしまうが、年老いた親から引き出せるのはお金だけだ。
自分が親と同居し介護をすることで、親の資産をひとり占めしようとする子どもは多い。
もともとそんな意識がなくても、自律をしていない人ほど介護を始めると「地獄の沙汰も金次第」と考え始めるのだ。
「こんなにきつい介護を何年もしたのだから、お金くらいもらって当然だ」という心理に陥る。
また「介護をする代わりに生活費の足りない部分を補わせよう」などの被害者意識も出てくる。
そんな子どもたちに介護をしてもらって、親は幸せだろうか?
親世代、子ども世代どちらかが精神的自律を果たしていなければ、決して平和ではない。
また双方が精神的自律を果たしていなければ、もっと地獄だ。
親が自律していないことを、責めても始まらない。
自分が自律していないことを、恥じても仕方がない。
いいとか悪いとかの話ではなく、それが現実なのだということ。
人ひとり満足のいく最期を親に迎えてもらうということは、決して夢物語では語れないのだ。
では自律していない場合どうすればいいのか?
もし上記のケースを読んで該当するようなら、同居以外の方向を模索することをお勧めする。
同居するにも準備にお金がかかる。
そのお金をかける代わりに、
・ 親へ金銭的な援助をする。(家をバリアフリーに改装したり、施設へ入るお金の手助け)
・ 一緒に住まないまでも、歩いてすぐ訪ねることができる場所へ引っ越す。
・ 週に(月に)何度か可能な範囲で実家を訪ねて、食事を作ってあげたり、ときには一緒に食べて過ごす。
・ 親の話し相手になる時間を作る。
・ 親が元気なうちに行きたい場所があれば、連れて行ってあげる。
これは一案で、とどのつまりは同居が親孝行のすべてではないということだ。
いい距離を保ちながらの、親孝行はできる。
また同居を拒んだ自分は親不孝だという思考から、解放された方がお互いのためでもある。
旅立つ親の老後は大切だけれども、旅立たれた後の子どもたちが憎しみあったり、ボロボロになってしまっては意味がない。
残された側にも幸せに暮らす責任があるのだ。
それが親の同居や介護をしたばかりに、親族がバラバラになってしまうことの方が悲しい。
自分の心身の健康を犠牲にしてまでの同居にならないよう、自分の身の丈を実際より大きく見積もらないことが大切だ。
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