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自分の本音と向き合い心を大切にするということは、生きていくうえでもっとも大切なことだと思う。

けれども自分の気持ちを大切にするあまりに、他者へ迷惑をかけてしまえばそれはエゴになる。
エゴは他者へ迷惑をかけることにより不快を感じさせてしまうので、迷惑をかけた相手からは悪い感情が返ってくる。

たとえ相手が不快を露骨に口に出すことはなくても、ミラーニューロンで確実に伝わってくるものだ。

ミラーニューロンに関する過去記事はこちら

相手の冷たい視線や不快感を肌で感じるわけだから、自分の心に悪影響を及ぼさないわけがない。
結果自分を大切にしたことにはならず、自分を痛めつけることになる。

「イヤだ」このたったひとことが言えず、エゴイスティックだと他者から評価を受ける人がいる。
厳しすぎた大人の追求や、幼少期から過剰に正当性を求められた人たちに多く見られる。

  • ちょっとしたイタズラの理由を、厳しく追求された
  • イヤだと言うと「ちゃんとした理由を言え」としつこく求められた
  • あるいは上記のことで、大人の感情からくる体罰を受けた

などなど他者に怪我をさせるようなイタズラならともかく、子供は遊びの一環でイタズラもするし、気分屋だから「イヤだ」とも言う。
そんな子供が子供らしくいられない状況に多く遭遇して育った人は、大人になって「イヤだ」と表明するのがとても苦手だ。

他者となにかの約束をした後に、気分が変わることもあるだろう。
また体調が突然悪くなったり、急な用事で約束を守れなくなることもある。

通常なら行けない、あるいは行きたくないとわかった時点で、相手に断りを入れるだけ。

そんなときに「イヤだ」と言えない人は正当な理由を述べられない場合、自分から断りの連絡を入れることができない。
その人たちにとっての正当な理由とは「自分のせいではない」ということ。

「誰か」や「なにか」のせいを理由に盛り込まなければ「イヤだ」という言葉を使えない。
自分が怒られないようにするために必死で身を守り、ギリギリまで「自分のせいにならないための理由」を探す。

ひどいときは無断で約束を破ったりもする。
約束を破られた相手の迷惑より、自分が怒られないためのエゴに走ってしまい信用を失くす。

「イヤだ」のひとことを発するのは、言えない人にとって「敗北」「屈辱」のように感じる。
これは言える人からすると、まったく理解のできない心理だ。

自分を守るための行動が、実は自分を傷つけていることに気がつく必要がある。

子供らしく振舞うことが許されないために身につけた習慣が、逆に人の怒りを買い、信用を失くす行為だということに気づいていただきたい。

誰にも迷惑がかからない限り、自分の気持ちを大切に好きなことをする。

他者に迷惑をかけたり悪影響を及ぼすような場合は、自分の今抱えている気持ちはただの「エゴ」なのでそこに正当性はないと区別をしよう。


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