インターナショナルスクールで
最初に入ったのはESL(English as a second language 英語を第2言語とするもの)
という英語の話せない子ばかりの学級。
 
ノルウェー、スウェーデン、デンマーク、フィンランドなどの北欧諸国の子供たちや、
オランダ、ハンガリー、キューバからきている子もいた。
 
男女ともにお人形さんのように、可愛い子ばかりで見とれてしまう。
 
私と1つ年上の兄も同じクラスに入った。
小1の妹は低学年のESLに入った。
小5だった兄はすでに日本の学校で、ローマ字を習ってきていた。
私は日本で週に1度英会話教室に通ってはいたけれど、
挨拶や単語を少し習っただけで、
書くのもアルファベットの大文字がやっと書けるていど。
 
最初の授業で黒板に先生が筆記体で書くのを見て驚いた。
それまで筆記体を見たことがなかった。
他国の子たちは、意味がわからなくてもアルファベットを使う国から来ていた。
 
私にとっては黒板に記されている文字が、
 象形文字や、アラビア文字のように見えた。
形を真似てノートに書き写すしかなく、時間がかかる。
 
クラスメイトたちは私が板書をとることで苦戦していると知ると、
筆記体で書き写すのをやめて、ブロック体でで書いたものを見せてくれるようになった。
また子音と母音の組み合わせで音ができることも知らないので、
音読もいっさいできなかった。
普通学級のクラス替えは半年に1度行われていたが、
このクラスは3ヶ月単位で英語が話せるようになった者から、
 普通学級に移って行った。
クラス替えをする時期になった。
やっと読み書きできるようにはなったけど、
まだ会話にはならない。
 
兄は普通の学級に移された。
私は……落第してしまった。
 
それも小1の妹が入っていた学級に移された。
妹はさらに下の就学前の子のESLに入ったので
妹とクラスメイトになることはかろうじて免れたが、
恥ずかしかった。
イスも机も小さくて、
私より何歳も年下の子がたくさんいるー。
小1の子たちに混じって授業を受ける、小4を想像してみてほしい。
 
「この学校ヒドイ!なんてことするんだ!」
と正直思った。
この学校に限らず、
海外では小学校から落第も飛び級も、
ごくごく普通にあることを知らなかった。
 
でもちょっとホッとしてもいた。
前のクラスでは先生の言葉を理解できないから、
授業中いつ当てられるかでヒヤヒヤしていたのだ。
毎回答えられず落ち込むのが関の山だったし、
そのうち先生から当てもされなくなったことは寂しかった。
 
落第のショックを越えると開き直ってしまった。
堂々と(!?)英語ができないことを、
隠さずにすむと言わんばかりに、
恥も外聞もなくなって頑張ろうという気合が入った。
 
日本に帰ってきてつくづく思ったのは、
年齢に関係なく生徒の学力に見合ったクラスに配置するというのは、
残酷でもなんでもない。
素晴らしいシステムだ。
 
回答がわからない授業にに出席することほど、つまらないことはない。
勉強はわかれば楽しいものだということを教えてくれた。
 
学力に合ったクラスにいれば、
教師にも生徒にもプレッシャーがかからなくなって、
のびのびと勉強ができると思う。
勉強ができる子も、できない子もいてあたりまえなのに。
勉強のできない子は、できる子の足を引っ張ると言われる。
だから無理やり頑張らなければならない。
 
学力に合ったクラスに入ることがあたりまえになれば、
クラスに3歳や4歳の年齢差の子がいても、
恥ずかしくも思わないだろう。
 
あるいは飛び級できるほど、
学力が高い子は勉強のしがいがでてくるだろう。
 
勉強が簡単すぎて、
学校がつまらないという不登校児の話を聞いたことがある。
できない者からすれば、
うらやましくて贅沢な悩みのように聞こえるけど、
当人からすれば勉強ができなくて学校がつまらないのと、
同じくらい深刻なのではないだろうか?
 
それが理由で不登校になったのなら、
楽しい友人との語らいも、
部活動をする機会も、
修学旅行へ行く機会も、
いろんなことを逃してしまうのは、あまりにもMOTTAINAI !!
 
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