ファスティングをしていて思ったこと
*ファスティングをおこなう場合、何回かは必ず専門家の指導の元で‼︎
私は過去3人の別々の専門家の元で、違う方法のファスティング指導を受けました。
そのなかで自分がいちばん楽におこなえる方法を、自宅で定期的に実践しています。
「あぁ私は満たされている、日頃から自分の欲求を満たしておいてよかった」。
今年初のファスティングを終えて、感じた率直な感想です。
準備が万端だったわけではありません。
通常なら2、3日取った方がいい準備食期間は、食欲がなかったので1日しか取りませんでした。
酵素と梅干し、ヒマラヤ岩塩と水かノンカフェイン飲料のみを5日半。
回復食を2日半。
述べ8日間のファスティング期間を過ごしました。
他の人のことはわかりませんが、私はファスティングをするたびに毎回感じることが違うのです。
同じ体でおこなっていても、毎回まったく違う発見がでてくるのが面白いと思います。
自分の欲求に素直に従っていた
最初にファスティングをしたのが9年前。
ここ最近は最低でも年に1回、去年は2回しました。
今回のファスティングは過去におこなったなかで、いちばん楽で楽しかったように思えます。
楽におこなえたのは衝動に従ったからではないかと、自分なりに考えています。
衝動というと大げさなのですが、本当に今回は無計画で初めて無計画に終わったのです。
ファスティングを始める前日まで「明日から始めよう」とは思っていませんでした。
翌朝目覚めると、私にしては珍しく食欲がありませんでした。
私は前日どんなに遅くてヘビーな夕飯を食べても、朝からカツ丼が食べられる人です。
けれどもその日は朝から、胃もたれしているわけでもないのにお腹が空かない。
そのうちお腹も空くだろうと、まったく意に介さず夜まで過ごします。
夜になっても食べたい氣が起こらない
水分だけで夜になり、依然として湧かない食欲。
「胃腸が休みたがっているのね」と勝手に解釈して、ファスティングを開始することにしました。

準備食
そうして腸内クリーニングを促進する食材と、発酵食品を多く取り入れた食事を作りました。
玄米小豆ごはんに自然薯のとろろ、納豆とキムチを混ぜ合わせた丼。
小豆は「サポニン」という成分が、腸内をきれいにしてくれます。
また腸壁をきれいにして保護してくれる、ムチンを多く含む最強ネバネバ食品のひとつ自然薯(じねんじょ)。
自然薯(天然の山芋)の味つけは、梅干しと自家製青のりの佃煮。
お味噌で味つけをした、ミネストローネ。
モロッコインゲンの黒ごま和え。
これまではスタート日も、期間も設定していた
これまで毎年だいたい3月あたりに、ファスティング期間を設けていたのです。
私には4月から6月くらいまで、じんましんが出やすい季節なのです。
その前にデトックスをしておいて、楽に過ごしたいという目的でおこなっています。
けれども今年はなんだか、そんな氣が起こりませんでした。
じんましんもほとんどなく、過ごすことができたというのもあります。
けれどもそもそもの「ファスティングがしたーい」という欲求が湧かなかったという方が、正直なところです。
またこれまでおこなったファスティングは○月○日に開始して、何日間は続けるといった設定をしていました。
そうして去年は準備食と回復食を入れて、13日間おこなったというのが頭にあります。
次回は15日ないし20日間に、チャレンジしてみようと考えていました。
始めたのも衝動、終えたのも衝動
ところがです。
始めたときも衝動的だったのですが、そのせいか「何日間続ける」と考えもありませんでした。
「イヤになったらやめよう」です。
ただ去年は5日目から宿便が出始めて、その後お肌がツルツルになったこともあり「できれば5日間は続けよう」くらいでした。
たったこれだけのことですが、設定しなかったことで楽におこなうことができた。
「義務」とか「完全」などの感情が、どんどん減っているのです。
自分の執着することには「完全」を求める癖が私にはあります。
それをこれまで意識しながら薄めてきて、本当に薄くなっているのだと実感することができました。
量子論的にいえば「ない」の設定は「ほしい」の枯渇感を強める
以前のファスティングでは「あと何日……」とカレンダーに花マルをつけていましたが、今回は忘れていました。
そのくらいリラックスしておこなったファスティングは、これまでになく楽なものでした。
そうして冒頭の「あぁ私は満たされている、日頃から自分の欲求を満たしておいてよかった」となったのです。
それは枯渇感が、自分を縛るのだと感じたからです。
カレンダーに花マルをつけるのも、日程をあらかじめ設定していたのも「結果がほしい」という願いからです。
結果を求めて、結果しか見ていなから現状を見ない。
すると現状より「終わる日」ばかりを見ていて、ファスティングそのものを楽しめていなかったのだなと。
また「ほしい」と思うものごとは現時点で「ない」からだということになります。
量子論的にいうと「ない」と設定していれば「ほしい」が強くなり、枯渇感も強くなるということです。
なりゆきや自然の欲求に従っていたので、枯渇感はありません
もし「恒例行事だから3月中にはやらねば」と思っていたのなら、じんましんが出ていたかもしれません。
「体に悪いから食べ過ぎてはならない」と食べたい欲求をがまんしていたのなら、酵素の日々に不満を覚えたかもしれません。
あるいは自由に食べている人へ「食べ過ぎでしょう」などと、からんでいたかもしれません。
節制や自己管理をしなくていいということではなく、自分の心の欲求をうまくつかむことが大切なのかと思います。
ただお腹が空かないから、ついでにファスティングへ移行しよう。
そうしてイヤになったら、やめよう。
すると6日目の朝になって、酵素の喉の通りが悪くなってきました。
飲み込もうとしても「ウッ」となったのが、私の止めどきだと考えて今回は終わりました。
投稿がお気に召しましたら、ポチッとクリックをお願いします!
↓いつも応援ありがとうございます。- 投稿タグ
- 枯渇感は「ほしい」から始まる, 楽で楽しめる, 酵素ファスティング