1976年〜1979年まで新聞記者だった父の仕事の関係で、東アフリカのタンザニアという国で暮らした。

http://ja.wikipedia.org/wiki/タンザニア
父は日本の新聞社で、初めてアフリカに支局を開局した。
家族で移り住んだ翌年には、アフリカに通うようになって10周年となったと言っていた。

家にははりねずみの針や、木彫りの人形など摩訶不思議なお土産がたくさんあった。

はりねずみの針は小学校へ持って行って配ったりもしていた……。
みんな競うようにもらってくれた。
今だったら危険物を持って行ったと、父兄や学校側から怒られるだろう。

「この絵葉書の魚は、パパと同じくらいの背があります」
アフリカ出張のときに、巨大魚が釣りあげられている写真が載っている絵葉書が届く。
「こんなのに飲み込まれたら、死んじゃうよ〜」
アフリカは恐ろしい場所だと思っていた。

その恐ろしい国に出発する日がきた。

小学校4年生だった。

それまでまったく勉強もできず、
2、3年生のときにあたった担任は ヒステリーな先生で、
小学校はちっとも楽しくなかった。

4年生に上がり、明るく楽しい担任の先生が受け持つようになったのに、
外国へ行くのは少し寂しかった。

でもアフリカへ行けば大嫌いな勉強も、もうしなくていいのだと、勝手に決めて能天気に浮かれていた。
荷造りのとき、兄はノートや教科書などの勉強道具を入れるのに、
私だけなにも入れなかったほどだ。(苦笑)
このことは現地に到着してから、母からとても怒られた。

まだ成田空港のない時代だ。
羽田からパリ、ボン(ドイツ)では、父の会社の海外支局の特派員の方々にお世話になりながら旅行した。
とはいえ母は大学の英文科を卒業しているから、英語は堪能。

たった1人で、子供3人を連れていた。
考えるとすごい度胸だと、今さらながら思う。

すでにタンザニアにいた父とは、その後のロンドンまで迎えにきて合流した。
約1ヶ月間ヨーロッパを旅して、タンザニアへ渡った。

着いたのはタンザニアの首都ダルエスサラーム(Dar es Salaam)
赤道直下のインド洋に面した土地だ。

飛行機から降り立つと、すごい熱風にまず驚く。
あたりまえだけど、こんなに多くの黒人を見るのは初めてだ。
みんな我先に荷物を運んでチップをもらうために、大挙して押し寄せてくる。
もみくちゃにされながら
「黒人ってヒゲも縮れているのね……]
と見上げて観察していた。

乗り込んだタクシーは
「本当に走るのコレ?」
というほど、見たことのないオンボロ。

ベルサイユ宮殿や、ライン川、ビッグベンを巡ってきた後のギャップは、
子供心にものすごかった。

高いヤシの木。
熱風。
土埃の匂い。

それがタンザニアの最初の印象だ。

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