インターナショナルスクールとは別に、
イギリス人の家庭教師が、週に1回自宅に英語を教えにきていた。
子供といえどもすぐに話せるようになるわけではないので、
兄妹3人同時に英会話の特訓をさせられていた。
先生の持ってくる教科書に沿って、
リピートをして発音を強化したり、
先生からの質問に答える授業。
優しい先生だったけど、
妥協のない先生だ。
a とか the の冠詞や不定冠詞が抜けただけで
“nearly” (近い)とだけ言って正解にしてくれない。
冠詞、不定冠詞は日本語にはないものだから、
その重要さがわからなくて、つい
「それぐらいいいじゃない、正解にしてよ」
と思ってしまうけど、
英語ではまったく意味が変わってしまう。
前に武田鉄矢がテレビでニューヨークへ行き、
ドアマンとのやり取りで大失敗をした話をしていた。
タクシーを呼んでもらいたくて、武田鉄矢がドアマンに
“call me taxi”
と頼むとドアマンは
“taxi !!”
と武田鉄矢に向かって言う。
わかっていないのかと思って何度も同じことを言うけれど
ドアマンは声色を変えるだけで、
武田鉄矢のことをずっと “taxi”
と呼び続けていたという笑い話。
“call me a taxi”
と言わなければ
「自分のことをタクシーと呼んで」
という意味に変わってしまう。
家庭教師の先生はそのほかのちょっとした間違いも
“nearly”
とだけ言って、いつまでも正解を教えてくれなかった。
自分で間違いに気がつくまで、辛抱強く微笑みながら待っている。
何度言っても正解が出ないから、つまらなくなり
私は授業中に歌を歌い出し、
遊びだしたりする不真面目な生徒だった。
ところがタンザニアに渡って約半年後、
落第をした翌月に、英語力に変化が起きた。
いつも通り先生が授業を始めて、質問がくる。
前の週の先生の授業では単語をつなぎ合わせた、たどたどしい英語だった。
なのにその日私は突然文章でペラペラと返していた!
自分でいうのもなんだけど、
冠詞も不定冠詞も抜かさない、きちんとした返答だった。
その日の午前中インターへ行ったときにも、
この状態ではなかった。
まるで英語圏の人が突然私に憑依したかのようだった。
悪いことを口にしてしまったときのように、
思わず両手で口を押さえてしまったほど急なことだった。
先生も見ていた母も、
ポカンと口を開けて驚きながら返答を聞いている。
ちょっと間があり、 母に向かって
「子供ってすごいね!」
と先生が言った。
その後もスラスラと答えていると
「パーフェクトだよセリ!前から英語を話せていたのに隠していたんでしょう?」
とイングリッシュ・ジョーク(!?)を言ってウインクしてくれた。
感覚的には今まで習ってきた単語や文章の点と点だったものが、
脳内ですべてひとつにつなげる回路ができたような感じだった。
このことを帰国子女と話すと、
「自分もそうだった。ある日突然だよね〜」
とか
「うんうん、目安は半年だね!」
と共感する人が多いので、
これは私だけに限ったことではない。
小1のクラスでちっちゃい子たちと、同じレベルの勉強をしたおかげだ!
恥ずかしかったけど、話せるようになった!
落第万歳だ!
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