楽しい我慢ならいくらでも
我慢の果てに楽しいことが待ち受けているのなら、我慢のし甲斐もあるでしょう。
たとえば大変な仕事が終わった後で、くつろぎながら飲む1杯のビールなど最高です。
こういった類の我慢ではなく、他者の評価を意識し過ぎた我慢は自分にも他者にも害悪になりかねません。
職場や家庭の人間関係で病気になっても「迷惑がかかる」と体を休めなかったり、悲しみや怒りを感じる自分を「情けない大人」と断罪して、辛い気持ちを我慢をしながら生きている。
自分からすれば「大人なのだから」と思うかもしれません。
けれども他者から見ると、痛々しい緩慢な自殺行為でしかない。
何年もそんなことを続けていると気力がなくなって、誰の話も聞き入れられないほど心がカラカラになってしまいます。
カラカラに乾きすぎた土は、水を弾いて吸収しない
「カラカラに乾きすぎた土は、水を弾いて吸収しないから作物は育たない」って農家さんは言っていたけど、心も同じだと思うのです。
カラカラが続けば誰も彼もが敵に見える猜疑心を抱いたり、何を聞いても腹が立つ状態に陥ってしまいます。
イライラしているから、夜も熟睡できない。
どれだけまともな食事を摂っても脳がストレスを感じている限り、腸も栄養を吸収できません。
それにイライラしながら食べる食事は、どんなにいいものでも毒気を帯びてしまいます。
血流は滞り、血液が脳へうまく行き渡らなければ、ミスの連発や事故や怪我を招くでしょう。
遠すぎる未来は、現状の延長線でしかない
「子供が成人するまで」とか「安定的な老後を過ごすため」という遠い未来が、現在の我慢の原因かもしれません。
けれども未来は、今の延長線上でしかないのです。
今が我慢の連続なら、未来も我慢が待っています。
心の向きが緩慢な自殺行為を見ているのなら、ある時期がきて突然ハッピーになることはありません。
それに自分が我慢の連続の生き方をしていれば、我慢をしない人が許せなくなり我慢を他者へ強いる人となる。
心がカラカラに乾いているから
心がカラカラに乾いているから、誰かへ潤いを求めます。
自分の我慢から生じた毒気を抜くために、自分の正当性や自分の都合、気持ちばかりを語ろうとします。
他者からの「自分を大事にしなよ」という優しい言葉は遮られ「偉い、頑張っている」という賞賛をひたすら求めてさまよいます。
賞賛以外の言葉を口にする者は全員敵だと言わんばかりに、1人また1人と敵に回して理解者を失います。
そもそもストレスで脳に栄養が行っていないから、まともな判断なんてできません。
自分を大切にできないと、人から大切にしてもらうことしか考えられない。
だけれども誰をも敵に回せば、誰からも大切にしてもらえないという悪循環に陥ります。
この状況を切り抜けられるのは、我慢をすることをやめて、安心してグッスリと眠るだけ。
あるいは泣きたいときにワンワン泣いたり、思いっきり笑える場所へ行くなど、我慢して閉じ込めてしまった自由な感情を解放してあげてください。
他者へ迷惑をかけないためだったのでは……
この投稿の冒頭に戻るとわかっていただけるかと思いますが、元はといえば「他者へ迷惑をかけないため」の我慢でしょう?
それがイライラや悲しみに変わり、どんどん周りへ悪い影響を及ぼしているのです。
だったら我慢をしない自分が、どれだけ周囲にいい影響を及ぼすかは一目瞭然です。
そこまで我慢強い人は気を使いすぎる人なので、我慢をやめても他者へ大きな迷惑をかけることはありません。
そもそも我慢をまったくしない人ほど、他者の迷惑をかえりみない人なのですから。
1度安心して我慢をやめてみて、そこからどれだけ迷惑がかかるものなのかを、考えてみるのもいいのではないのではないでしょうか。
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