親から依存されて育った人が、柔軟性に欠けるのはなぜ?

子供のころから大人(親)の役目を肩代わりしてきた人は、自身と親を守ることに必死でしたから頑固になる傾向にあります。

頑固、すなわちこだわりは誰にでもあるのですが、こだわる対象の数が依存されずに育った人よりとても多いのです。

同じこだわるでも「この音楽や映画は、自分を無条件で元気にしてくれる」「悲しいことがあっても、この香りを嗅ぐと心が落ち着く」などは代わるものがない依存であっても、持っていた方がいい。

けれども「こだわりたい」と思っていることが時と場合によっては、こだわらなくてもいいことであったりします。

私もこだわる方ではありますが、徐々に捨ててきています

このブログを継続的にお読みいただいている方は、私が食べ物には異常な執着心があることをご存知ですよね。笑

また一口に食べ物といっても素材の良し悪しや、産地、鮮度、物珍しさ、コスパなど人のこだわる部分もさまざまです。

そんなこだわりを徐々に減らしたのは、ある人との会話がきっかけでした。

まだ30歳前の話ですが食の健康に目覚めて、ある自然食品店の無農薬野菜にとてもホレ込み「そこでしか買わない」と考えていました。

話すのも恥ずかしいのですが「多少鮮度が悪くても、味が落ちても無農薬にこだわる」というポリシーを掲げていました。

すると食に詳しいご年配の方から「あら!それじゃもしその店に、問題が出たときに大変よ」と言われたのです。

「そこの商品以外は食べ物ではない!」と言わんばかりに当時は「安心、安全」を歌っているその会社へ、絶対の信頼を置いていました。

今でこそニセの表記や偽造問題などが取りざたされますが、約20年も前のことですからネットも普及しておらず、情報がそこまでありませんでした。

その方が言うには「いつも同じ食品や同じ店、あるいは会社で買うということは、そこのメリットもデメリットもすべて引き受けることになる」ということでした。

つまり体にいいからという理由で毎日同じ食品や、同じ店の商品を買うより「危険分散」の意識を持っていた方がいいということで目からウロコが落ちます。

このことで私は無農薬野菜絶対主義をやめて、国産>できるだけ違う種類の素材>あちこちの違う店舗で買うという風にこだわりが減ります。

すると時間のないときでも、どこででも買えるようになり便利だという、当たり前のことがわかります。

また天候不順が続き野菜の価格が高騰したときその方へ「最近野菜が高くて」と愚痴ったことがあります。

すると「大根とかキャベツなんて、丸のまま1つ買うと何食作れる?仮に1つあたり千円したって、4人家族で2食は食べられるわ。だったら1人頭で1食たったの125円よ!」と言われ、再び目からウロコがー‼︎

実際千円もするキャベツは存在しませんでしたし、せいぜい高くて400~500円です。

とても高く感じていましたが、トマトやキュウリなどコスパの低いお野菜を種類多く買い集めるよりも安い。

野菜の価格が高騰したときはコスパのいい野菜を工夫して、お料理の品数を増やせばテーブルが寂しくなることも、家計を圧迫することもないということを教えてくれました。

彼女とお話しをしたことで、いったいウロコが何十枚落ちたことか。

そうして優先順位を、そのときどきで変える思考となりました

彼女の柔軟で合理的な知恵は、それ以外のさまざまな場面でも「考えるベース」となっています。

すると優先順位がいつも一定ではなく、ケースバイケースで変わるのです。

そのときに応じて柔軟な方向で考える力がつくことで、労力も無駄も減り快適に暮らすことができます。

すると周囲の人も「(あなたのために)お金の苦労をしてまで、高い野菜を食べさせているのよ!」という無言の圧力からも解放されます。

「これじゃなきゃダメ」ということを減らせば減らすほど、自由度は上がるのでときどき自分の「こだわり」に見直しを入れてみてください。

おっと、もう金曜日ですね!

それでは皆さんまた来週お会いしましょう♪

楽しい週末をお過ごしください。


投稿がお気に召しましたら、ポチッとクリックをお願いします!

↓いつも応援ありがとうございます。

にほんブログ村 家族ブログへ