突然行くことになった、パニック障害が起きた原因の場所
「◯◯へ行って」不意を打たれて言われました。
5年前に私がパニック障害を起こすきっかけとなった、事件があった場所です。
私へそこへ行くように伝えた人は、事件のことを知ってはいますが「行って」という言葉に他意も悪意もありません。
ただそこへ私が行く用事がある。それだけの理由で伝えられました。
瞬間で口から心臓が飛び出しそうになりました。
心臓の鼓動がどんどん早くなるのもわかります。
口の中がネバつき、手は汗でびっしょりになりました。
その後血の気が引いて、手が氷のように冷たくなりました。
もう二度と行かない場所だと思っていた
事件の内容は複雑な人間関係が絡んでいるので、プライバシーの問題により書くことはできません。
ただ事件が起きたその日はショックのあまり、どのように帰ってきたのか覚えていません。
それからそこへ行く道を、通ることができなくなりました。
つまりその場所というより、そこの方面すべてへ行くことができなくなりました。
別の用事でそちらの方面へ行こうとすると、大げさではなくエア・バズーカ砲が、私を跳ね返すような錯覚に陥りました。
「そんなバカな、あんな事件なんかに負ける私ではない」最初こそ果敢に立ち向かう気でいましたが、無残にも跳ね返されます。
行こうとすればするほど跳ね返す威力は強くなり、自分のことなのに自分以外の意志が働いているように感じていました。
事件が起きた2日後に、私は発作を起こして倒れました。
誰かに自分が乗っ取られてしまったように、思考も体も意志とは違うことが起こり、いったい自分になにが起きたのかがわかりません。
わかったのは「もうそこへ行くことはできない」ということでした。
断ることはできたはずなのに
現場へ行くよう伝えられて、断ることはできました。
正直なことを言えば「どうしてそんなにひどいことが言えるの?」と私に伝えた相手を責める気持ちが、ほんのわずかな一瞬出ました。
責める気持ちが出てくるのは、被害者意識が出ているときだと自覚しています。
エア・バズーカの正体は自分の持つ被害者意識への嫌悪感だったのだと、今回初めて気が付きました。
またこのような思考が働いている間も、顔や態度では悟られないよう勤めました。
ただ少し時間稼ぎのためそこへ行く道を忘れたふりをして「どうやって行くのが、いちばん効率的かな?」などの会話で思考を紛らわしながら「行くべきか行かざるべきか」を考えていました。
思考の整理ができていても感情が追いついているのか、自信がなかった
その後心理学の勉強や、自分のやりたいことを始めて「なぜそのようなことが起きてしまったのか?」ということは把握していたつもりです。
またその事件が起こるべくして起きたことも、理解をしていました。
ただ事故現場へ行くというのは、別の話でした。
また発作が起こるかもしれないリスクを背負ってまで、行く必要はない。
自分を傷つけるようなことは、絶対にするべきではない。
そう思い、行かずにいました。
けれども被害者意識が出た次に「行こう」と決心をしました。
自分を励ますためだったのかもしれません。
それ以上に私は「この場所にはもうなんの感情もない」と考えていた自分の気持ちが、本当なのかを確認したくなったのです。
行きました。なんの怒りも湧いてはきませんでした
腹が決まると冷静に、落ち着いて行くことができました。
怒りが湧くことが考えられましたが、行ってもなんの感情も湧いてはこず、ただ淡々としていられます。
だから私に行くように伝えた相手にも、私の短い心の葛藤を気がつかれずにすみました。(と思います)
ヒャッホー!ワタシbravo ‼︎
夜になり強くなった自分へ、心ひそかに祝杯を挙げました!
私はよくも悪くも、自分の感情に正直に生きています。
無理をして克服したような気になれば自分ですぐにわかりますし、そんな感覚はありませんでした。
「私よくがんばった!私偉い!私カッコイイ!」心のなかで何度も、何度もつぶやいていました。
それまでそこへ行く機会を作らなかったので、もっと早くに克服していたのかもしれません。
けれども私には5年という歳月が、長かったとしても充分でした。
むしろ死ぬまで克服したことに気がつかないでいたことを考えれば、たったの5年でここまで自力で回復した自分が誇らしかったのです。
今トラウマに苦しんでいる人も、克服する気になればかならず乗り越えられます
ベッドに横たわると、嬉し涙があふれ出しました。
泣きたいほど嬉しかったことを、こらえていたのです。
私にとっては人生の一大事と言えるほど、その事件はつらいできごとでした。
その後た〜くさん、たくさん、私を支えてくださる人と出会いました。
危機に瀕した私が必死で「よくなりたい、自分の人生をよくしたい!」とあがかなければ、決して出会うことのなかった人たちです。
そのままいじけて、引きこもるという選択肢もありました。
そんな悲しい人生を送って終わりたくない一心で、ここまできています。
5年前のエア・バズーカに怯えていた私は、もうどこにもいません。
どうか今苦しみのどん底にいる人も「明るい方向」を向いてください。
「よくしよう」ではなく絶望することをやめるのです。
かならず助けの手は差し延べられますし、時間がかかっても焦らずに1つづつクリアすれば、心はかならず回復しています。
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