原因追求をしても意味がないのは、的外れだった場合

私が原因追求型の思考「なんでなんで族代表」となったのは、もともと謎の多い人生でもありましたが様々な人の影響も受けています。

たとえばアフリカの記事を書いていた新聞記者だった父と、仕事相手との話を聞いていると「なぜこうなった?」という話が多かったです。

当時の私に意見はありませんが、問題に思いを巡らせる癖がついていました。

そうして中学生くらいになると父から「君は〜国の紛争について、どう思う?それはなぜ起こったと思う?」といった無謀な意見を求めらるようになりました。

それ以外にも「問題は何だ?」という人たちがすごく多い環境でしたので、自然と考える癖ができました。

そうして自分自身の経験からは自分の思う悩みの原因が的外れだった場合、まったく解決せずあの手この手を駆使しても一向に解決しませんでした。

一方で原因が的へピタッとはまったときには、サクサクと悩みが解決して同じ失敗を繰り返しそうになると回避しやすくなっています。

それゆえ第三者の意見を得る大切さも実感していますが、自分の欲に絡めて「こうしたらいい」といった他者からのアドバイスにも敏感になりました。

中耳炎や扁桃腺の原因が「腎」と知ったときの驚き

このブログにも以前書きましたが、私は幼少期にしょっちゅう中耳炎や外耳炎、扁桃腺を患っていました。

31歳のある日、整体師の先生の治療中に「最近耳鳴りがしませんか?」と聞かれました。

この先生の存在が後に東洋医学と、マクロビオティックを学ぶきっかけとなります。

「はい、少しですが耳鳴りがしています。けれどももともと私は子供のころから中耳炎と外耳炎を繰り返していて、耳鼻科の常連だったほど耳は弱いんです」と答えました。

それに付け加え「海やプールの中で逆立ちやででんぐり返しをするのが大好きで、いつも耳に水が入って中耳炎や外耳炎になっていたのです」と伝えました。

するとその先生はシニカルな笑みをたたえて「ふっ、扁桃腺とかも弱かったでしょう?」と言われ「先生、なぜそれがわかるのですか?」と聞き返しました。

「どちらも耳が弱いんじゃなくて『腎』が弱い人に起こる病気だから。人は何かのせいにしないと気がすまないものなんですね」と言われたのです。

続けて「だから私は耳の治療はしませんよ、腎の治療をするのです。考えてもみてください。水中のでんぐり返しが原因なら、それをやった人全員が耳の病気をしますが、そんなことはないでしょう?」

ずっと信じていた原因は違っていたという事実

その通りでした。

一緒にでんぐり返しや逆立ちをしていた友人は、誰も中耳炎になどならず耳鼻科の常連は私だけでした。

けれどもそれまで私は「でんぐり返しをして、耳に水が入ったせい」と親からも病院からも言われ続けて、考えなしにそれを信じていたのです。

「『腎』が良くならなければシャワーを浴びて水が耳に入っただけで、いつでも中耳炎になりますよ。だから大元(おおもと)の治療をしないと意味がないのです」と言われ、目から鱗が落ちる思いでした。

耳ばかりを注視していたけれども腎の治療をしてもらうと耳鳴りだけでなく、腎臓が関連している病の腰痛や生理痛までなくなり全身が元気になる。

大学時代も扁桃腺には泣かされて頻繁に腫れるし、ひどいときは膿んでしまい高熱も出るので、何度も手術で摘出を勧められました。

それらはすべて「腎」の症状だったと知り、幼少期からの体調面での悩みがかなり軽減しました。

誰もが弱い部分や強い部分を持ち合わせている

その後の勉強でどうやら私は生まれつき「腎(蔵)」が弱く、その弱りを補ってくれるために「心(蔵)」が頑張り疲弊していたということがわかりました。

それからはもともと弱い腎をいかにして弱らせないか、また腎が弱ってしまった際にどのように対処すればいいのかを気をつけています。

腎を弱らせる食べ物、腎を弱らせる生活や環境を可能な限り避ける。

すると改善するのに多少の時間はかかっても、対応が的確なら体は良い答えをくれます。(怪我や急性の疾患は除きます)

また腎は弱いけど、肝は強いこともわかりました。

それでも腎が疲弊すると肝へ負担がかかるので、どちらも弱ります。

心もまったく同じで、誰もが弱い部分を要因とした問題を抱えています。

そうしてせっかく持って生まれた強い部分も、ダメにしてしまう可能性を持つのです。

性格形成の大元は育った環境で作られますが、生まれながら持つ人格の強弱も大きく要因しています。

強いパワーや器用さを持つ人がそれだけで対応しようととすると、弱い部分に負担がかかります。

「体質は変えられないけど、体調は変えられる」のと同じで「(その人の持つ)性質は変えられないけど、性格は変えられる」のです。

暗い性格も明るくなります!

生まれつき「根暗な赤ちゃん」っていないんです。

誰が教えてもいないのに生きるため本能だけで、懸命にお乳をもらおうとする前向きな心を持っているのです。

生後すぐに亡くなってしまうのは生命力の強弱の違いで、それは根暗とは関係がありません。

だから人間は本来明るいもので、暗くなってしまったのは「私は耳が弱い」と思い込んでいたように、的確な原因追求がなされていないからです。

耳が弱いから耳鳴りがあるのは仕方がないことだと、かつてのあきらめていた私と一緒です。

また毎日体の痛みや不調と戦っていれば、よほどの人格者でもない限り明るく感謝する人にはなれません。

毎日非情な人たちに囲まれていても、明るい自分は出てこない。

自分の弱さを知り、適切な対応に最善を尽くす。

自分の眼に映る人生が180度とはいかなくても30度、40度と少しづつ見えるものが変わって行くだけで、生きづらさはどんどん遠のいて行きます。

自分では存在すら知らなかったことが、心と体の不調の根本だったりすることもあるということです。

根本を知るには耳障りのいいことだけを言う人ではなく、きつくても的確に伝えてくれる人が大切なのです。


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