自分を限定してしまうのは、環境を変えてからでも遅くない

「こういう生き方しかできないから」とつぶやく人がいます。

・自分はわがまま勝手ににしか生きていけないから

・自分には器用な生き方はできないから

・自分の口の悪さは生まれつきだから、一生直らない

など自分の存在のあり方を表現する言葉を、さまざまな場面で聞きます。

ある人は「いいね!その考え方」と応援したくなる人もいますし、またある人にはどこかしら物哀しさを感じてしまうことがあります。

自分を限定してしまうのは「そうあれば楽だ」と感じられるのなら、それが最善かと思われます。

けれどももし環境が自分へそう言わせているとしたら、もしかして諦めてしまっている可能性はないでしょうか。

いちばん残念なのは、自分を諦めてしまうこと

自分の方向性を諦めの消去法で決めてしまっては、とても世界が狭くなることでしょう。

もちろん狭い世界の方が安心するという人もいると思うので、そういう人は広い場所へ出ることはストレスになると思います。

けれども狭い場所が本当に好きな人が「自分は狭い場所でしか生きられない」とは、あまり言わないものです。

またそれを伝える際に、あえて強調するような大きな感情も入りません。

どちらかといえば「狭い場所にいると落ち着く」というようなフラットな言い方をします。

それにもし自分でも知らないうちに自分自身を限定しているのなら、自分の理想の生き方から大きく外れて行ってしまいます。

諦めから発生する適応力は長期的に見ると、人を強くはしない

限定しないと生きて行くことができないほど、大変なことが起こった場合もあるでしょう。

けれども諦めから生じる適応力は、その場はしのぐことができても、後々心や体を病んでしまいます。

自分を諦めていない人の限定的な発想からは、創意工夫を生み出すからです。

狭い部屋でより快適に暮らすなどのアイデアとともに、生き方自体もよりよく進化させていきます。

けれども狭い部屋で諦めている人の部屋はアンバランスな家具や「とにかくしまえればいい」といった雑然とした温かみのない部屋です。

ありあわせの食材で調理法や盛り付けの一工夫を加えることで、豪華な食卓にすることも可能です。

またそうするためにアンテナを張り、情報収集などをして日々楽しく心を豊かにしていきます。

けれどもただお腹がいっぱいになればいいという発想の元、ありあわせの食材を使っていては味もそっけもない食事です。

想像力が欠落してしまうと気持ちまでが貧相になって、さらに自分の世界を狭める方法しか考えられなくなってしまいます。

いざというときに自分を助けてくれるのは、適応力ではなく柔軟性です

適応力には、どんな強靭な人にも限界が訪れます。

最終的に自分の心をだますことは、できないからです。

けれども柔軟性は日々の想像力の鍛錬で、限りなく成長させることができます。

「こういう状況になったときは、こう考えるといい」という発想は、情報収集後の成功と失敗の経験からしか学ぶことができません。

失敗も無駄ではないと思えるのは、失敗を否定しなかった人です。

「このときは失敗したけれども、次はどうすれば?」という限定をしない想像力が、人を大きく成長させるのだと感じます。

現状が苦しいと思う人ほど、一度自分の「限定」を紙に書き出してみませんか?

そうして諦めからきている限定なら、それをどのように取り扱うのか想像力を働かせてみてください。


投稿がお気に召しましたら、ポチッとクリックをお願いします!

↓いつも応援ありがとうございます。

にほんブログ村 家族ブログへ