以前知人から一方的に、なじられたことがある。
なじられた内容は今となればどうでもいいことなので、
割愛することにする。
けれども後日その人が言ったことが問題だ。
(腕組みをしながら)
「私、セリさんに謝らないといけないことがあります」
まず腕組みをしながら謝りにくる人を、
初めて見て驚いた。
でもせっかく話にきたのだからと、聞くことにした。
セリ 「どうしたんですか?」
知人 「先日私とてもきついことを言ってしまったので、
それを謝らなければと思ったのです」
非礼を謝りにきてくれたのだから、
「はい」と答えて終わろうとした。
そのとき知人の口から
「でも」
という言葉がでてきた。
すると知人は堰を切ったように、
そのきついことを言った理由を説明しだした。
その当時知人にとってとても大変な時期で、
それなのに私がとても非協力的な人間で……。
私が知人にもっと協力をしていたら、
知人は私をなじることもなかったということを
必死に説明する。
要約すると
「悪いのはセリ、なじらせたのもセリ、私は悪くない」
と言っただけに過ぎなかった。
結局再びなじりに来ていたのだと、わかって呆れた。
「あなたが大変だったことはもうわかりました。
がんばってください」
私が冷ややかにそう言い放つと、
知人は恨めしそうに行ってしまった。
その一部始終を見ていた人たちも、
「なにあれ?ぜんぜん謝っていないじゃん」
と同じくあきれ返っていた。
この知人は自分を正当化するために、
心理学的な言葉では
「ダブルバインド」
というテクニックを使っていた。
ダブルバインドは別の意図があるのに、
本心とは違う言葉で
相手を翻弄することだ。
ダブルバインドは検索をしてもらえば、
解説がいくらでも出てくるので、
ここでは省略したい。
ダブルバインドをするときの意図は、
相手を自分の思うように動かすこと。
言葉で心理操作をして、
相手を支配下に置くのが目的だ。
知人は謝ると言いながら、
私に文句を言いにきていた。
言葉に出していることと、
行動が矛盾している。
でも支配しようと思っていることに本人は、
まったく気がついていない。
もし私がここで彼女の言動が矛盾していることを
指摘したとしても、
「自分が謝っているのに、
なぜこの人は私に説教しているの?」
としか思わず、
逆に被害者意識を植え付けることになりかねない。
私もこの知識を心理学で学ぶまで、
いろんな場面で無意識にダブルバインドをしていて、
相手と意思の疎通が取れず悩んでいた。
知人の場合対等な立場でひとこと
「協力をしてもらえないだろうか?」
と断られることも念頭に入れて言えば、
こんなにおかしなことには
ならなかったかもしれない。
実際私はその人から、協力要請を受けていない。
断られるのが怖いから、本音を言わない。
言わないで不満を溜め込む。
溜め込んだ不満を発散させるために、
相手を責める。
ただ責めるだけでは自分が悪者になるから、
謝るフリをして相手を攻撃する。
原因は単純でも、事態はややこしくなる。
これが夫婦間や親子間で日常的に行われていたら?
夫婦では大変な戦争になるし、
子供は親の言葉を信用しなくなる。
なにより一番問題なのは、
自分の欲求をだましているから、
だんだん自分の本音がなにか
わからなくなってしまうことだ。
自分の心の欲求がわからないと、
いつまでも満ち足りた気持ちにはなれない。
そうして他者を攻撃するという悪循環に陥る。
「ごめんなさい」の後に
「でも」がついたときは要注意だ。
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