うまい距離感がつかめず、母を遠ざけたのはこれで2度目です
私は母のことが、嫌いなわけではありません。
確かに母は私に依存が過ぎましたし、さまざまな場面で私の健康を害するようなことをしてきました。
また私もなんとか母が生きているうちに、母に幸せになってほしいと願っていました。
それは母が幸せになってくれることで、私に対する依存心や自己顕示欲から解放されるからです。
けれども母はどうしても私を離してはくれませんでした。
母の子供の中で母の「依存をしたい」という欲求を満たしてあげられるのが、私だけしかいないからです。
なにが起こるかというと、私が新しいことを始めようとすると無意識に邪魔をするのです。
私がどこかへ行ってしまうようなパニックを起こし、必死でつなぎとめようとします。
あるときは高圧的に、またあるときは悲劇の主人公となり、手を変え品を変え私が遠くへ行ってしまう恐怖心を表現していました。
どんどん心に余裕がなくなりました
30代半ばで離れる決心をしたときも、自分がやっていたことを「もう辞めたら?」と言われて憤慨したのがきっかけです。
「なぜよくなろうとする者の足を引っ張るのだ!」と。
当時も時間があれば母の話を聞き、行きたい場所には可能な限り付き合っていました。
書道をしている母が個展をするといえば協力も惜しまなかったし、海外旅行にも連れて行っていました。
どんどん自分のパワーがなくなり、代わりに出てくるのは母に対する被害者意識です。
なにをしても満足してくれない母、母の依存心はとどまるところを知りません。
周囲にも私への不満を漏らし、それが自分の耳に入ると私は怒りを母へぶつけるというイタチごっこには、ホトホト疲れてしまったのです。
「お母さんなんだから許してあげなよ」といろんな人から言われました。
私もそうしたかった。
でも自分のやりたいことを犠牲にしてまで、なぜ他の兄妹がやりもしない親孝行を、私がしなければならないのだろう?
1年間一切の音信を途絶えさせて少し心の余裕を取り戻し、また元の関係性が始まりました。
2度目は自分への怒りが、止まらなくなりました
母とはなんとか10年ほど過ぎましたが、その間に私はパニック障害を発症します。
そうして「相手を変えることはできないけど、自分が変われば相手が変わる」というカウンセラーからの勧めで、心理学を勉強するようになりました。
心理学の勉強を初めて2年ほど経った後、私も母と似たようなことを、他者へ向けて行っていることがわかりました。
自分の中に、例えようのない怒りが湧いてきました。
「私はいったいなにをしていたのだ?」と感じ、その根深さと向き合う気になったのです。
「自分が変わる」という言葉を勘違いして、相手を変えるために2年間自分を変化させていたのです。
だから私をコントロールしてまで自分に気を引こうとする母と、なんら変わりはありませんし、私自身なにも変わってはいませんでした。
母が嫌いなのではなく、母と同じ言動をしてしまう自分が嫌い
2度目に離れたのは自分の中に深く根ざした母の言動を、母に会えば条件反射で真似てしまうからです。
それは徹底的に取り除かなければ、私は母と同じように他者を傷つける。
自分の中の母の悪い部分を追い払わないことには、母が幸せでないように自分に幸せは訪れないと感じたからです。
母はどんなに説明しても「自分が責められている」と攻撃的な姿勢でした。
また私の中にも70過ぎた母から、遠ざかる罪悪感はありました。
でも自分の中の怒りはすでに満タンで、気持ちが張り裂けそうなほどいっぱいいっぱいでした。
またライターを目指したことで母から私の気を引く無意識のコントロールが、毎日のように続きました。
自分が幸せにならなければ、どちらにしても母へ優しくなどなれない。
私は自分を根本から変えることにして、母から離れることにしました。
離れるといっても、連絡は取れるようにしていました
連絡を取れるようにしていたのが、よかったようです。
必要なときは手短ながらも、母の愚痴や悩みを聞いてあげたりすることで、徐々に母も私から離れてくれました。
そうして約2年が経ち、私は母が元気なうちに聞いておきたいことが出てきました。
2年間ほぼ完璧に母との関係を絶ったことと、その間それまでに勉強した「自分がどのようなときにどう反応するか?」ととことん向き合い、母と同じような心理にはならなくなっています。
もっと構えてしまうかと思いましたが、まったくの平常心で母に会いました。
その話はまた明日!
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