誰にでも過去の背景や、現在の背景がありますよね?

過去はとても大変なことが多かったけど、今はとても輝いている人。

過去に輝いていたのに、今は悩み多き人。

また過去も現在も、光り輝く人。

人にはそれぞれ背景というものが、過去にも現在にもあります。

同じ人物が立っている絵でも、背景が春、夏、冬、秋、冬で別々の印象を持たれます。

海と山の背景でも違う印象ですし、屋内、屋外、色味の濃淡でも与える印象がガラッと変わります。

この背景を彩るのは自分だということを、どれだけの人が意識しているでしょうか?

乙武さんの不倫・別居報道の背景について考えてみました

始めに乙武さんの不倫や別居を批判や非難をつもりは、毛頭ありません。

私は乙武さんのファンでも、アンチでもありませんし、不倫自体の是非を問う気もありません。

それとここからの話は、すべて私の想像だということもご了承ください。

乙武さんの話題に触れるのが、背景を語るうえでいちばんわかりやすいかと思ったという理由で書きます。

乙武さんの不倫報道に、なぜこれほどまでの不快感を示されたのか?

私が疑問に感じたのは乙武さんの不倫報道がなされたとき、誰もが不快感を示したというところです。

私は個人的に、彼の幼少期から現在までの背景を想像していました。

乙武さんには四肢のない子として生まれ、誰かが世話をしなければ生きていけない人という大前提があります。

例えば自分ならどうでしょう?

生まれたときから現在まで1日も絶えることなく洗面、着替え、おトイレや食事などの身の回りの世話をしてくれる人がいたなら?

きっと私なら「家来が何人もいて当たり前の生活」のように勘違いしてしまうのではないかと。

助けられることに感謝ができるのでしょうか?

なぜそんなことを考えたかというと、自分がタンザニアで暮らしたわずか3年の間、家には使用人が数名いました。

その人たちに小学生の私がさまざまな頼みごとをすると、相手は仕事ですから引き受けてくれます。

私自身それに対して、なんら疑問を持つことはありませんでした。

もともと私と兄は年子で生まれ、父も長期出張や激務で家にいる時間の少ない人でした。

家事が大変だった母のために海外へ転居する前の小学校1、2年生になるまで、週に何回かお手伝いさんに来てもらっていました。

私はその人を「おばあちゃん」と呼び、本当のおばあちゃんのように慕っていました。

そういった人たちがいてくれたこともあり、家族以外の人が家事をしてくれるのに慣れていたということです。

人を使うことにすっかり慣れてから中学生になり帰国をして、どこか自分は勘違いしていたことに気がつきます。

「自分たちのことは自分でするもの」という誰もがやっていることを我が家では、一部誰かの手を借りてきた。

他者の手を借りることが悪いとも思いませんでしたし「自分たちのことは自分たちで」という生活スタイルを変えることも、特に抵抗はありませんでした。

それは家族が誰も障害を抱えていたり病気をしておらず、年齢的にも自分たちのことができる年に達していたからです。

けれども乙武さんの場合はいくつになっても障害は消えず、人へ頼らなければ成り立たない生活です。

誰か助けてくれる人がいるということが当たり前の背景で、私のように背景から手伝ってくれる人を消すわけにはいかなかった。

私は自分の足で歩いたり食事を作ることができる、当たり前の行為に対していちいち自分に感謝をしていません。

乙武さんも助けてくれる人がいることに毎回感謝はせず、助けてくれる人たちを自分の手足と同様に捉えてしまったのではないでしょうか?

そうして自分の手足の代わりとなり欲望を満たす他者が、生まれてこのかたずっと存在しているという事実だけを考えると、乙武さんの思考を健常者と同列に見ることはできません。

だからと言って不倫をしていいとか、悪いとかを言っているのではありません。

それとこれは私の想像でしかなく、乙武さんが本当のところどのような意識をお持ちかは、ご本人にしかわからないところです。

けれども健常者が障害者の思考を想像するには、乙武さんの背景を見ずに健常者と同じ感覚で話すことはできないのではないでしょうか?

他者には背景しか見えないし、自分には自分の後ろにある風景は振り返らないと見えない

ちょっとだけ想像してみてください。

現在幸せではない人が頑張って他者へ悟られないように、笑顔でいても「毎日が楽しくて仕方がない」と言葉で表しても、その人の絵の背景が真っ黒ならあなたの目にはどう映るでしょう。

高価なアクセサリーをして高価な服を着て全身キメキメでいる人が、廃墟の前に立っていたらその人をうらやましいと思うでしょうか?

とてもチグハグな印象を受けないでしょうか?

また背景が美しく光り輝いているのにそれを隠すかのよう、地味でボサボサの頭で無表情でたたずむ絵はどんなイメージでしょう?

後ろを振り向いて見てみてください、自分の背景は今何色をしていますか?

どんな風景ですか?

そうして現在のあなた自身はどんな表情で、描かれていますか?

背景と自分が一致している姿が、いちばん自然です

背景と自分のチグハグな人は、どちらかのバランスがおかしいので奇異なイメージを与えてしまいます。

また背景は塗り替えることもできます。

もともとの黒ずんだ背景をずっと放置することもできますし、いつだって自分の好きな色に塗り替えることもできます。

一度黒く塗られたものを白に戻すことは不可能ですが、他の人にはない深みのある背景を作り上げることもできますから、白へ戻す必要もありません。

また一度に全部を塗り替えようとすると、厚塗りの絵の具にヒビが入ってしまうかもしれません。

少しずつ、少しずつ丁寧に塗り替えられたものが、素敵な背景になりませんか?

そうして背景と自分のありようが一致している人へ、多くの人が共感してくれるのだと私は考えます。

背景は一生かかって塗り続けるものです。

明るく塗り替えてきた背景が味わい深いものとなるよう、私も少しずつ丁寧に塗り続けています。


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