親を変えることができないのは、発展途上国同士が助けあえないのと同じ

私が親との葛藤を抱える人へ書いているのは「親を変えてあげましょう」ということではありません。

また「親へ傷ついた子供の心の被害を拡散して、知らしめてやろう」ということでもありません。

そんなことは不可能だとずっと書いてきています。

それよりも「共依存関係の人たちの陥りやすい心理状態」や「そういった心理に陥ったときにどうすればいいのか?」という部分を強調しています。

被害を加えた親に対して書いているのではなく、被害を受けて大人になっても前へ進めない子供世代に向けて書いています。

そこには理由があります。

頼るべき人間が親しかいない幼いころから、親の身勝手で心を蝕まれた子供は被害者ですし身勝手な親は加害者です。

けれども親の立場で考えると、自分の満たされなかった欲求を子供に満たさせようとするほど、いくつになっても愛情に飢えている。

それは親もまたその親から、適切な愛情をもらえていない部分では被害者なのです。

つまり「被害者VS被害者」で食い合ってしまっているということです。

発展途上国を別の発展途上国が助けることができないのは、自分たちのことで精一杯ですからあたりまえです。

どれだけ発展途上国の国を集めても、強い国には発展しません。

発展途上国を助けることができるのは、先進国だけです。

共依存関係の親子は発展途上国同士でどちらが先に潰れるかというような、不毛な食い合いのスパイラルにはまっているのです。

力のない人の特徴

力のない人の最大の特徴は、心からの感謝や謝罪ができないことです。

その場を取り繕うために、言葉では言えるかもしれません。

けれども子供から愛情を奪っている時点で子供の親への存在や愛情を、ありがたくも申し訳なくも思っていないことがわかるでしょう。

正当な感謝や謝罪ができない人には、自力で生存する力がないほど余裕がないのです。

発展途上国の人だって生きるのに必死ですから、窃盗や騙しを罪の意識を持たずに行います。

力のない者が力のある者から奪うのは、危機的状況になれば誰でもそうなるのです。

一緒になって滅びることになんの意味もありませんので、力がまだ残っているうちに立て直しを図った方が楽に生きていけるようになります。

力のない人の行動はいちいち仰々しいので、一見強そうに見えますね

自分はこんなに疲れているのに、いつまでも攻め込んでくる親はさぞかし強そうに見えていることでしょう。

けれども逆なのです。

力がないから発展途上国よろしく悪いことだと知っていても、なり振り構わず盗んだり騙したりするのです。

そこに倫理や道徳など存在しません。

そんな余裕のない精神状態の親たちから底なし沼のように愛情を奪われないためには、こちらが先進国になった方が有利なのです。

なぜなら子供側は「力を奪われてる」という時点で、パワーバランスは親より勝っているということになります。

親から見て奪える力が、子供にまだ残っていることに気がついてください。

力を吸い尽くされてしまう前に子供側が力を持つことが大切なので、今はこれ以上奪われないように自分を守った方がいいのです。

いつもパワーがカラカラな人と、多少なりとも持っている人のどちらが立て直しが早いかは、火を見るよりも明らかでしょう。

そんな力のない親に「奪わないで」といってもわかりません

どれだけお金を持っていても、力のない人はいつも不足感でいっぱいです。

発展途上国の人たちに「心の余裕を持ちなさい」と言っても無駄なのと同じです。

それよりも自分が力を蓄えて正常な判断を取り戻してから「親へ愛情を注ぐのか、別のところへ愛情を注ぐか」を決めればいいのです。

自分の持てる力をどこで使おうがそれは人として自由ですし、親から奪われてもいいという理屈にはなりません。


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