夢、希望、目標、それらがあることは素晴らしいことだ。
なにかを追うことを継続していれば、状況が変わって心や環境に急な変化が、ある日訪れることがある。
けれども願望がどんどん膨らみすぎると、自分の本当にやりたいことが見えなくなることもある。
また願望が少なすぎるのも「欲がない」と美しく思われがちだけど、押し殺しているのならいいことは起こらない。
心にも検索エンジンがあると想像するのが、いちばんわかりやすい例えとして書く。
各ポータルサイトの検索エンジンは年々高性能になってきてはいるものの「コレ!」という検索結果にたどり着けないことはないだろうか?
キーワードが多すぎても、少なすぎても、思ったような検索結果にはたどり着けない。
多くの女子が大好きな新月・満月の祈り。
自分の願いごとを叶える手伝いを、お月さまの満ち欠けのパワーにあやかる。
「願いごとがかなわない」と言っている人は、お月さまの検索エンジンに願いごとがヒットしていない可能性がある。
願いごとがかなわない人の検索エンジン入力法
「願いごとを書くノートを作って毎月欠かさず書いているけれど、ぜんぜんかなわない」という声をよく聞く。
願いごとを書くときに、ただ「素敵な人と出会う」だけでは抽象的すぎる。
「優しい人」も優しさを感じる場面は、人それぞれ違う。
「どう優しいのか?」という具体性が必要だ。
だからといって「〜歳以下、年収〜万円以上、身長〜センチ以上、毎月おいしい食事に連れ出してくれて、話が合って、いつも元気をくれる…….」など、多すぎると「該当する方は見当たりませんでした。条件を変えて検索し直してください」と出てしまう。
多すぎるときも、少なすぎるときも「夢物語」になってしまって実現性に欠けてしまうのだ。
夢物語の段階のときは「依存心」が生じる。
自分は動かずに条件のいい誰か、なにかが訪れてくれるのを待っているとき。
夢物語である以上、目的、目標はかなわないし、適当なところで妥協をしてしまおうというあきらめの心理が起こる。
願いごとのかなう人の検索エンジン入力法
夢物語ではなく明確にできる人は「自分の願望を達成するために、自分自身でどのような努力ができるのか?」ということを、願いごとのリストを眺めながら取捨選択ができる人だ。
低い方を見る必要はない。
高みを見るために自分を磨きあげる力を、月のパワーから借りようとしている。
がむしゃらに頑張っていても目的が明確でなければ、ただ動いているだけで消耗するだけになってしまう。
明確になった目標に向かって、イキイキと頑張っている人には必ず応援が入る。
「私がこんなにがんばっているのだから、あなたも手伝ってよ!!!」という他者を巻き込む依存的な発想は、その人にはない。
目標は自分のものなのだから、他者へ頼る必要などないのだ。
自分のためにがんばって、自分の成長が実感できた瞬間はとても嬉しいこと。
本当の自己達成感は、誰かから気付いてもらえなくても自分がいちばんよく知っている。
だから自分で生み出した結果に満足している人は、他者からの理解や承認を求めない。
また自分の目標を達成させることを夢見て、楽しみながらがんばっている人だからこそ、周囲の人間は声援をしたくなるし協力もしたくなる。
他者からの声援や協力が得られないときは、自分の目的が明確ではないのではないか?依存して的外れな動きをしてはしないか?ということを再点検をするバロメーターなのだ。
過去のがんばりに捕らわれない
再検索をして正しいキーワードを見つけて答えが出たときは、クルッと方向転換をすればいいだけ。
過去にがんばっていたことなど「本当に必要なことではなかった」と捨て去り、明確になった方へ軌道修正すれば必ず応援は入る。
逆に過去のがんばりにこだわり過ぎると軌道修正が難しくなって、いつまでも停滞してしまうからこだわらない方がいい。
この柔軟さがあるかないかで、何年も願望をかなえる時期が変わってしまうし、チャンスを逃し続ける。
状況が好転しない、人間関係がうまくいかない、家族とうまくコミュニケーションが取れない。
そんなときほど心の検索エンジンへ入力するキーワードを見直せば、答えは必ずでてくる。
いい検索キーワードを探し当てて答えがヒットすれば、的確な助言与えてくれる人も、目標へ向かって協力してくれる人も現れる。
たまたま満月の日なので月の満ち欠けを使ったけれども、満月・新月の祈りに関係なく、日常的な考え方としてお役立てていただければ幸いです。
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