人が自分の存在を否定するとき ①はこちらから

「おばさんに話を聞いてもらいなさい」と言った母

大学を卒業したと同時に最初の結婚をした私が、住んでいた場所は北海道でした。

北海道から帰ってきて、優しかったおばさんと会うのは4年ぶりでした。
卒業と結婚を祝ってくれたおばさんの家に、離婚の相談をしにくるとは思っていませんでした。

私が26歳になり、離婚の話が出て実家に帰ったときでした。
母にとって私が実家へ帰るということは、心理的負担が大きすぎるということでした。

「(離婚の話で疲れただろうから)しばらくゆっくりしなさい」と言う周囲の人とは対照的に、母は私の居場所はないので出て行ってほしいと言い続けました。

「早く出て行かなくちゃ……」
出て行かなければならない焦りと、離婚のストレスから睡眠障害はひどくなり物が食べられなくなりました。

母もそんな私が情けなかったと思いますし、辛かったのでしょう。
「私があなたをどこかへやりたいという話は(優しかった)おばさんには、前から相談に乗ってもらっていたの。今後のこともおばさんに相談してみたら?」と言いました。

母へ言われるがまま、おばさんへ会いに行きました。
「セリちゃん、大人っぽくなって」ガリガリの私を見て「痩せた、やつれた」とは言わない優しさは相変わらずでした。

淡々と現状を説明する私が、一通り話し終わったときのことでした。
「そんなにがんばって話さなくていいのよ。なんにも言わずに、ただ泣いていいのよ」と言ってくれました。

私を捨てないように、母へ説得してくれていたおばさん

「セリちゃんに出て行けと言わずにいれないお母さんと、それを言われたセリちゃんの気持ちを考えると……」
と両者の気持ちが理解できるというような、話し方でした。

「私はね、この家の養女なの」
おばさんの話によるとまだ乳児のころに、子供のいないご夫婦に引き取られて育てられたのだそう。

おばさんと育てのご両親は同居していて、遊びに行くと私のことも可愛がってくれた江戸っ子の方たちでした。
いつもおばさんはお母さんと仲良く一緒にキッチンに立ち、2人でおいしいごちそうを作ってくれました。

おばさんとおばあさんが実の親子ではないことは、まったく気がつかないほど仲がよかったのです。

一人娘としてなに不自由なく慈しんで育ててもらっていたのに、おばさんは物心ついたころから「自分はこの家の子供ではないのではないか?」と感じていたそうです。

小学校高学年のある日、押入れの中にある1枚の胸部レントゲン写真を発見しました。
名前が書いてあって、本能的に「これは私の元の名前だ」と気づいたと言います。

そうして中学生になって自分で戸籍謄本を取りに行き、やはり自分は養女なのだということを知ったという話をしてくれました。

真実を伝えてくれない親から自分は、信頼されていないと感じていた

「私と育ての親、特に母とは仲がよかったから、よけいに傷ついたの。どうして私を信頼して伝えてくれなかったの?って思ったわ。でも親に私が真実を知っているって言うと悲しむのはわかっていたから、こちらも話ができない。自分だけこの家の家族ではないような気がして辛かった」

そこまで話すと紅茶を淹れに、キッチンへ行ってしまいました。
温かいミルクティーと手作りクッキーをお皿に盛り戻ってきたおばさんは、そこから意を決したように話を続けました。

「私は自分の子供を産んだときに『この子はなにがあっても、絶対に手放さない』って思ったの。どれだけ育ての親に愛されても、捨てられた事実と、事実を隠されていたっていう憎悪は心から消せなかったから。だからセリちゃんのお母さんにも、捨てるのだけはダメだって強く言っていたの」

そうして誰かを捨てるという行為も、愛する家族から隠し事をされるという行為も「人間にとって、自分の存在を否定してしまう」行為なのだと説明をしてくれました。

実際私の母は私を遠ざけようとはしているけれど、私を捨ててはいないと思いました。
「(子供を)捨てたい」という言葉まで、隠さずに伝えていました。

それは激しく私を傷つけますが、想いを隠されながらも感じ取り、確認もできずビクビク怯えるよりいくらかマシだと思いました。

母は母なりにギリギリのところで、捨てずにいようと踏ん張っていたことを知ったのです。

そうしてずっと前からおばさんが、他の人のように母の言動を否定しなかった理由も、私をいつも「優しい子」だと母へ伝え続けてくれていた理由も、やっと理解することができました。

「育てにくい」という理由で、捨てられそうに感じている私の母への不安がわかり、捨てたいけど捨てずに踏ん張る、母の気持ち両方を理解してくれていた唯一の人でした。

「セリちゃんは優しくて、今も私に心配かけないように泣かずに話してくれるけど、お母さんの前でもニコニコしているのでしょう?でもね、家族で隠し事はダメよ。心配をかけたくない、傷つけたくないって思って秘密にしていても、気がついているものなの」

麦茶に塩が入っていれば「しょっぱい!」と大きな声を出すのが、普通の子だ。
母から「出て行け」と言われれば「どうして?私の家でもあるのよ!」と言ってもいいはずなのだ。

そんなあたりまえの感情を、素直に出せない大人になってしまっていたことを、教えてくれた人です。

秘密は隠していてもどこかで明るみになってしまえば、激しく相手の存在を否定します。
愛情があったとかなかったとかは、秘密を持ち続ける限り言いわけとしてとか伝わりません。

正直なことを言えば傷つけてしまうということも、心で思っていれば伝えていることと同じことなのです。
隠し通しているあいだに、相手に与えるのは、不安や恐怖心だけです。

家庭のなかに、秘密はないほうがいい。


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