自分の勤めている会社では入社当初は元気だった新人が、
どんどん元気がなくなるという愚痴を聞いていた。
3ヶ月も経たないうちに「神経性の〜」や「ストレス性の〜」という診断書を医師からもらって、
あっという間に退社してしまう。
採用をしてもしても追いつかない、育たない。
悪い評判が広がったのか、最近は求人を出してもなかなか応募もこない。
「どんなことがストレスだったのか?」ということを部下に聞くとほとんどの人が、
「社内で先輩に話しかけたら無視をされた、口を聞いてもらえなかった、
仕事を教えてもらおうと思っても怖くて声がかけられない」と口にした。
先輩お局たちに「なぜ口を聞かない?」と聞いてみたという。
するとお局さんたちは「うちら皆んな人見知りですから」と言ったという。
「普段あんなに態度がデカイ君たちが、人見知りで話ができないだと?非常識にもほどがある!」
そう言ってお局さんたちを叱り飛ばしたという。
上層部にも報告をしてこれ以上退職者が増えるようなら、
お局さんたちの管理者としての責任を問うということになったという話だった。
「ヘェー人見知りって職務怠慢の理由に使っていいんだ。人見知りとは便利な言葉だな」
私はお局さんたちの幼児性に、嫌悪感を抱いた。
だいたいなぜ人見知りを公言する人が、人見知りなのだろう?
「私って〜、人見知りだから」と人見知りの人はあまり言わないと思う。
「あまり話さないけど、気分でも悪いですか?」と言われて初めて、
「すみません、実は人見知りなんです」とカミングアウトすることはある。
それに本当の人見知りは黙っていても、相手に壁は作らない。
話しかけられれば言葉は少なくて時間が掛かっても、きちんと答える。
気を使って疲れてしまっても「自分が人見知りのせいだから」と理解をしている。
このお局さんたちは人見知りなどではない。
ただの「かまってちゃん」だ。
「人見知りの私の壁を越えてきたら、話し相手になってもいいよ。
仕事を教えてあげてもいいよ。でも私は人見知りだからハードルは高いよ。
私が話したくなるような話をすることだね。でなければ無視するよ」
と相手に呪いを掛けている。
だから部下も呪いにやられてしまい、あっという間に体を病んでしまうのだ。
自分が人見知りで他者との関係性に支障があるという自覚のある人は、克服する努力をしている。
人見知りだけど留学先で勉強するには、そんなこと言っていられない。
人見知りだけど仕事の営業先で、そんなこと言っていられない。
人見知りだけど子供の友達の親とうまく付き合うには、そんなこと言っていられない。
だいたい人見知りがゼロな人は、ほとんどいない。
最初に会う人に警戒をするのは、経験からくる危機管理能力が働くからあたり前のこと。
まったく警戒をしない人の方が、逆に危ないだろう。
人懐こくて誰とでもオープンに話すと言われている私だって、
初めて会う人には緊張するし、それを見せないように努力もする。
私が緊張を前面に出せば、相手をもっと緊張させてしまうからだ。
ガチガチのままでは仕事だろうとプライベートだろうと、ことがスムーズに運ばない。
それは自分がストレスを感じないための、当然のエチケットだと思っている。
「あら、人見知りをしているのね」
と言って可愛いと言ってもらえるのは、赤ちゃんのうちだけだ。
それ以外の人たちが自分をどう見せたいかのために、堂々と使っていい言葉ではない。
人見知りは他者に克服してもらうものではない。
他者を攻撃する武器でもない。
自分で克服するものだ。
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