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関西地方在住のモンさん30代後半男性。
取材場所に登場したときに私が発した第一声は、
「パリッとした素敵な服装ですね」だった。

きちんとアイロンがかかったヨーロッパ系のきれいな色で、
シャツもジャケットもトータル・コーディネートされていた。
服にとてもこだわりを持っていることが伺える。

ブレーキとアクセルを同時に踏んでいる感覚

モンさんは
「自分のやろうと思うことをしようとすると、
止まってしまう癖がある」
と漠然と感じていた。

「やりたいと思っているはずなのに、
ウジウジしてしまうんです。
これっていったいなんなのだろう?
自分で気がついていない何かがあるかもしれない」

今仕事でやりたいと思っていることに関して、
前へ進もうとすると急ブレーキをかけている自分がいる。

「まるでブレーキとアクセルを同時に踏んでいる感覚」
だという。

「人の心に関わる仕事がしたい」
と学生の頃から願っていて、

コンサルティング会社へ就職した。

大学を出てからこの道一筋で、
人の心に関わることに強いこだわりを持っていた。

30代に入って間もなく結婚をした。
だが結婚生活は3年で離婚を迎えた。

好きな仕事や結婚が思うようにうまくいかないジレンマで、
こだわっていた職場を、
辞めようかと悩んだのがこの時期だ。

フリーランスとして生きて行こうかと迷っていた。
けれども長年勤めた職場にも強い愛着があり、
現職を離れるという結論には至らなかった。

そんなときに出会ったコーチングの講座。
そこから人生の歯車が回り出した。

企画コンペの公募に応募をしてみた。
モンさんの提出したコーチング関連の企画が採用されて、
出版につながった。

著書の出版は会社も公認していることだったから、
職場的になんら問題はない。

順調に新しい道が開けたことにより、
考え始めた次のステップとして、
この出版物を世間に広めていくことで、
大好きな会社の広告塔になろうと思った。

自分の好きなことを進めていくことで、
愛する職場へ貢献ができれば、
それほど嬉しいことはない。

けれどもその活動をしようとすると、
なぜか心のブレーキが発動して、
思うように動けない。

自分の出版物が誰かに批判を浴びてしまうと、
会社に迷惑がかかるかもしれないという不安がよぎる。

でも不安の原因が的確ではないような気もしている。
「会社に迷惑がかかるかもしれないと言っているのは、
言い訳に過ぎないのかもしれませんね」
とつぶやいた。

ブレーキをかけてしまう原因として、
自分を否定的に見られたくない。
否定されるかもしれないという
不安感にあるかもしれないと自己分析をしていた 。

では過去になにか強い否定をされた経験があるのか?
と聞いた。
「 否定された経験は人並みにあるけれど、
それを引きずっているとは考え難い」
という。

とにかくどうしたら自分で動けるようになるのだろう?
と思うのだけど、糸口が見つけられずにいた。

人の目を気にしてしまう

「いつも人の目を気にしてしまう」
という癖を持つ自分の性格が、

どのように形成されたのかを
家族問題の観点から探ってみたいと言った。

両親が共働きで不在がちだったため、
日中は同居する母方の祖母に、
幼少期から育ててもらった。

祖母が社会常識や、
人目を常に気にしている人だったから、
祖母の教育の影響は強く受けていると思っている。

けれども祖母から育ててもらうことに、
不足感はなかった。
だから母ではなく祖母から育ててもらった自分を、
かわいそうだとか親から放って置かれたという自覚もない。

母と祖母は実の親子なのだけど、
あまり折り合いがよくない。
「女同士の情の難しさを見ながら育った」
と言う。

小さな疎外感

小学校へ入学するとモンさんが夏休みを
楽しく過ごせるようにという両親の配慮で、

祖母の郷里の四国へ行き小学校の6年間
毎年1ヶ月を過ごすのが恒例だった。

仕事が忙しい両親は四国へは同行せず、
祖母に連れられて
四国で暮らす2人の叔母たちと夏休みは過ごしていた。

自然豊かな四国で祖母はもちろん、
叔母たちからもとても可愛がられた楽しい記憶ばかりだ。

けれども心のどこかで1ヶ月のあいだ、
両親から厄介払いをされていたように
感じていたのかもしれないと言った。

加熱する親子喧嘩に父までも加わる

祖母と母は折り合いが悪かったが、
子供の頃は母が働きに出ていたため、
家にいる時間が少なく

直接争いを目にする機会は少なかった。

モンさんが大学に入った頃、
母が仕事を辞めて
サラリーマンだった父も職場で上の地位に就くことになり、
残業をあまりせず早く帰ってこれるようになった。

家族全員が家に長くいる時間が増えて
顔を合わせる時間が長くなると、
母と祖母の口喧嘩が多くなった。

その頃からモンさんの苦悩が始まった。

また父もモンさんが子供のころは仕事が忙しく、
祖母と接する時間が少なかったから、
モンさんへ祖母のことを悪く言うことなどなかった。

けれどもその時期になると言葉は穏やかだけど
祖母に対する苦々しい感情を父まで
モンさんに伝えてくるようになった。

子供の頃は母と祖母の争いによる
無言のプレッシャーを感じていた。

大学生の頃から30代前半までは、
そこへ父も加わることとなり、
3人の大人の葛藤を背負うこととなってしまっていた。

仕事と最初の結婚生活がうまくいかなくなった原因も、
そこにあった。

祖母を一人置いては出ていけない

モンさんが最初の結婚をする頃、
両親は2人きりで念願だった
海辺の町へ住むために家を出てしまった。

祖母は一緒に行かず、
モンさんと祖母の2人の暮らしになっていた。

モンさんもできることならば祖母を一人置いて、
結婚生活を送りたかった。

けれども離れて暮らしているのに母と祖母は、
電話ででも諍いがしょっちゅう起きていた。

「2人が諍いを起こしたとき、
自分が緩衝材として間に入らなければならない」
そう思っていたのと、
育ててくれた大好きな祖母を一人にはできず、
祖母と最初の奥さん、
モンさんの3人で始まった新婚生活だった。

仕事から帰ると祖母から、
電話で喧嘩をした母との諍いを聞かされる。

そこにすべてのパワーを注ぎ込んでしまうので、
次第に奥さんへの関心は薄くなっていった。

「しばらく実家へ帰りたい」
結婚2年後に奥さんから打ち明けられるまで、
まったく奥さんの寂しさに
気づいてあげることができなかった。

少し距離を置いて考える時間を持とうと思うのだけど、
祖母と母との諍いの相手をしてしまうことで、
自分の感情が乱れてしまう。

仕事もうまく回せなくなり、疲れてしまっていた。

奥さんから言い出された別居だったが、
離婚するという決断を出したのはモンさんだ。

「ここにもう一人の女性である奥さんが戻ってきても、
女性同士の闘争に巻き込まれたくない
そう諦めて離婚することとなった。


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