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職場のセクハラで発症したパニック障害だったけど、実家へ帰っても発作が出るのはなぜ?前編はこちらから

 

職場のストレスから離れても、発作が出てしまう

とし子さんが、最初にパニック発作に襲われたのは職場だ。

けれどもその後療養に帰った実家でも、なんども発作に襲われた。

親に批判的なことを言われると過呼吸発作や、意識を突然失ってしまうという症状に襲われた。

パニック障害は発作が起きていないときは、普通に食事も会話も日常生活と同じように送ることができる。

なので家族や周りの人間も本人に障害が起きていることが、実感として湧かなかったり、病人だということを忘れてしまうことがある。

けれども目の前で頻繁に発作を繰り返されることで「本当に病気なのだ」と周囲から理解を得ることができる。

母親もとし子さんのパニック障害に対して、最初は解せない様子だった。

ただ母親自身が更年期になってから体調がすぐれず、自分のやりたいことができずにいた。

自分も体がいうことを効かない時期を経てきているので、徐々にとし子さんの苦しみに理解を示し始めた。

病気のつらさを理解をしてくれているはずの母が、体を壊した職場を辞めることに反対をした。

また気分転換に行くことさえ「会社を休んでいるのに遊びに行くのか?」と批難されることがつらくて、具合の悪いなか一人暮らしの部屋へ帰った経緯がある。

今でも別々に暮らしていても母親から電話越しに「あなたは病気をしたのだから、そんなに何度もやり直しは効かないのではないか?」などと、不安材料を持ち出されると発作が起こりそうになる。

「自分がよくなるためにする行動を、親に理解をしてもらうのは無理かもしれない」と大粒の涙を流した。

とし子さんが実家を離れたのは、母親を嫌っているからではない。

離れていないと親の都合のいいようにコントロールを受けて、自分がダメになってしまうほどの辛さに押し潰されそうになるからだ。

 

母親から排除されているのに、干渉を受ける息苦しさ

とし子さんには、4歳年下の妹がいる。

妹と母親はとても仲がいい。

「一生結婚しない!」と宣言をしていた妹は、ある日突然彼氏ができて数年前に結婚をして子供も生まれた。

とし子さんは交際中、妹から打ち明けられて相手に会ってもいた。

けれども妹は結婚を決めるまで、母親に交際相手がいることをひた隠しにしていた。

母からしてみればとし子さんは結婚してすぐいなくなる者、次女は結婚をしないものと思い込んでいて、妹が結婚をするという事実を知ったときに大変なショックを受けていた。

30歳になったころ、とし子さんが実家を出て一人暮らしを始めるときは「早く出ていけ」と言われた。

自分の意思で実家を出たので、実家に甘えるつもりなど毛頭なかった。

だが妹が家を出るとなると、ショックを受ける母を見るのはつらい。

妹が結婚をして家を出ても、実家には妹がいつでもこれるよう部屋が確保されている。

結婚前に妹が使用していた家具も全部置きっぱなしにしている。

とし子さんが家を出るときは、とし子さんの部屋は母親の部屋にするから空にして行くように言われた。

とし子さんだって本当は大学のときから家を出たかった。

とし子さんが高校生のころ母親が「もう我慢をしない!」と突然怒り出し、父親と父の実家の文句を散々言った。

それから母親は毎日文句しか口にしなくなり、父親は「はぁ、ごめん」とくり返す会話の中で思春期を過ごした。

口を開くと「私はずっと我慢をしているのに!」という文句を父に訴え続ける母。

夫婦で一緒に食事もしているし、10年以上同じ状態が続いてきていても、夫婦仲は特にこじれていない。

「ただそれをずっと聞き続けるのは、つらいですね」と言った。

とし子さんに家庭での居場所はなかったのだ。

大学生のころ家を出て一人暮らしをしたいと伝えると「お金がかかるからダメ」だと母から止められて、就職も実家のそばで見つけるように言われた。

夜遅く家へ帰ると怒られて、なにをしていたのかを逐一報告させられる。

「飲み会で遅くなった」と答えると「そんなことをして」と責められる日々。

過干渉と息苦しさに耐えられなくなり、もう無理だと30歳のときに一人暮らしを始めたのだった。

「だから今日は、これまでの話をしてスッキリしたい」と深いため息とともに言った。

 

可愛がってくれた最愛の祖母との別れ

とし子さんの実家では母方の祖父母と同居をしていた。

祖母はとし子さんのことをとても可愛がってくれていたのだけれども、とし子さんが実家を出た年に病気になり、同じ年に亡くなった。

祖母が病床にあるときに実家に住んでいなかったとし子さんは、母親だけに祖母の看病をさせるという意味で「よそ者扱い」を受けるようになる。

妹からも「私は家事もしているのに自分だけ好き勝手やっていて、なにも家の手伝いをしない」とも言われた。

早く出ていけと言われ、出ていけばよそ者扱いで被害者意識を出される。

いったいどうしろというのだ。

また「今日は祖母の付き添いを自分がする」と母親へ連絡した日には「とし子が来ると邪魔になるからこないでいい」と言われたこともある。

その日にそのまま自宅で待機をしていると、父親から祖母の危篤の知らせが入った。

慌てて病院へ駆けつけると、とし子さんが来るのを祖母は待っていたかのように、その日の晩に息を引き取った。

すると信じられないことに、妹から「ずっと世話をしていた私がご臨終に間に合わなかったのに、お姉ちゃんは間に合った」と妬まれた。

「この言葉は忘れられません」とつぶやいた。

子供のころから祖母だけはとし子さんの味方だった。

とし子さんが家を出て行ったのではなく、母から追い出されて狭い家になったことをかわいそうだと見抜いていた。

だからとし子さんに祖母から「帰ってきて」とも言われていたけれど、実家に自分の居場所はない。

四面楚歌のなか葛藤を抱えながら、病床の祖母の安否を離れて気遣うしかなかった。

職場では営業成績をあげるために精一杯終電まで働き、自分の生活を誰にも頼らずに生きるだけで精一杯だった。

そのうえ実家の手伝いをしないと、なじられ続ける。

「もう無理でした……」と言葉を絞り出すように、とし子さんは泣き崩れた。

 

パニック障害が自分の生き方を見つめ直す、大きなきっかけとなった

とし子さんは職場のストレスを抱える以前から、ずっと家庭でも心を休める場がなかったのだ。

パニック障害になってしまったのは、もうがまんの限界を超えてしまったよというサインだった。

子供の頃から、褒められたことがぜんぜんなかった。

成績だって悪くなかった。

親は自分の心配をしていないわけでもない、自分のことを愛していないというわけでもないことはわかっている。

けれども実家に住んでいなくても、母と電話で話しただけで発作が起こりそうになるので母には近寄れない。

そんな自分は親不孝をしているのではないかと、気に病んでいた。

 

とし子さんを悩ませていたのはダブルバインド

ダブルバインドというのは、口に出す言葉とは裏腹の意図を持つことをいう。

言葉では「いい」と言いながら態度は「ダメ」というように、言動に矛盾が生じる。

とし子さんの場合

・学生時代お金がかかるから家を出てはならないと言われた→家を出たいのはとし子さんが息苦しかったからで、そこは無視をされている。

・病気の心配をしているのに気分転換には行くな、正社員雇用なのだから仕事を辞めるな→病気を治したいから気分転換にも出たいし、仕事も辞めたいとし子さんの意思は無視をされている。

・「早く家を出ていけ」といいながら、出て行くと「看病の手伝いをしないよそ者」となじる。

母親の言動に矛盾があることが、おわかりいただけるだろうか?

ダブルバインドの目的は、相手を心理操作して自分の思うように支配をすることだ。

相手の欲求よりも自分の欲求を優先させるため、思ってもいない言葉を口にだす。

「あなたを心配している」というのは、いちばんわかりやすい支配だ。

心配をしているのは自分なのに、相手の言動を「自分に心配をさせないで」と変えさせようとする。

もちろん母親は意図的ではなく無意識の習慣で、ダブルバインドをおこなっている。

また日常的にダブルバインドにさらされて育ったとし子さんも、支配をされているという感覚が鈍る。

病気のきっかけになった、元の職場でも同じことが起きている

・本社勤務になりたければ成績を上げろ→成績を上げても本社勤務にはさせず、店長の役職を取り上げる。

・店長になれないのは◯◯だからだ→でっちあげの理由を持ち出す。

・仕事を辞めないよう強く勧める→けれども昇格もさせないし、評価も与えない。

これらのダブルバインドに真面目に対応してしまっていたのは、とし子さんが家庭で慣れ親しんでいたからだと思われる。

けれども潜在意識では、しっかりと支配感を感じ取っていた。

また実家を出て以来ダブルバインドにさらされる機会が少なくなったことで、正常に支配感をキャッチする感覚を取り戻した。

だからダブルバインドを受ける職場や、母親の言動がことさら応えるようになり発作が起きてしまう。

親であろうと他人であろうと、自分の意思を押さえつけられることは自分の心を殺すことになる。

ただ相手の都合のいいように、適当な理由づけをされて従わされるのだから誰もが心を病む。

相手の意図がなんであれ自分の自由意志が尊重してもらえず、病むような場所へいてはいけない。

自分の健康や心を大切にするためにも、母親から離れる罪悪感を今は置いておくことを勧めた。

すると「やっぱりこれでよかったのだ」ととし子さんは、私に会うまでに無意識に選択していたことが間違いではなかったのだと安心して笑顔になった。


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