インタビュー当日は、ジリジリと太陽の照りつける暑い日だった。
待ち合わせのホテルラウンジにあらわれたのは、とても華奢な女性だった。
この暑さで倒れてしまうのではないかと心配になるほど体も細く、声も小さな人だった。
話を聞くにつれこの細い体のどこに、そのようなガッツがあったのだろう?と不思議に思うほどだった。
傾聴ライティング第10弾にご応募してくださったのは都内在住、アラフォー独身女性のとし子さん。
3年前にパニック障害で倒れたのが、人生の転機だったという。
頑張るのに、足を引っ張る上司
とし子さんはかつて金融系会社の店長として、全力で仕事に取り組んでいた。
とし子さんがいた店舗では160%の売り上げを伸ばし、個人の成績では全国トップになるほど頑張っていた。
すると優秀さのあまり内部の人間から、嫉妬を買うことになる。
とし子さんは本来、営業ではなく本社勤務をしたいと願っていた。
上司へ希望を伝えると「成績を上げていないから却下」
成績を上げても「四年制大学を出ていないからから却下」(とし子さんは四年制大学卒だけど、言っても聞いてもらえない)
と次々に理由にならない理由をつけられて、本社へ行けないように嫌がらせを受けた。
店長としてのポジションを取り上げられたうえ、執拗な嫌がらせを受ける
次に移動した先は、従業員たちが長く続かないことで有名な店舗だった。
この店舗の男性店長がとても陰湿で、多くの従業員たちが体調を崩し辞めてしまう店だった。
1年ほど勤務をした店舗だったけど、その間バタバタと軽く10名は辞めていった。
この店舗では「女性の店長は要らない」というポリシーがあった。
移動と同時に店長のポジションは奪われ、昇進をはばむ発言のセクハラを受けていた。
パニック障害を発症する約1年前から、社内でのストレスから腹痛などに悩まされ体調が悪かった。
前の店舗にいたときのとし子さんの好成績を、異動先の上司は知っていた。
とし子さんが他の社員のように辞めることは店舗の成績の損失にもなるし、上司である自分の評価に関わることも懸念していた。
「有給を遠慮なく使っていい」など他の社員のように辞めてしまわないよう、説得を受けていた。
とし子さんの功績により店舗の成績は好調で、全社の最優秀賞を取っている。
まさにとし子さんが行く店舗すべてが、好成績で「福の神」のような存在だった。
しかしながらとし子さんは、ただ福の神だったわけではない。
前の店舗にいたときからお客様が自分を信用してくれて、再び利用してくれるよう試行錯誤をしていた。
仕事は好きだったし試行錯誤の末が、成績にあらわれていることに誇りも感じていた。
店舗の規模はさまざまだけれども「伸び率」という数字を見れば、とし子さんのいた小さな店舗の成績は明らかに他店舗より群を抜いていた。
それなのに売り上げを見て「まだまだだ」と上司は大型の店舗などと比較して、欠点を挙げへつらう。
とし子さんが「伸び率を見てください」と伝えても、それ以外のありもしない欠点を探す。
それもこれも、とし子さんを店長に昇進させないようにする画策だった。
頑張っても成績を上げても、昇進をはばまれることはものすごいストレスだった。
それでもストレスをバネにして成績を上げる、そうしてまた何癖をつけられて押さえつけにあう。
その繰り返しでとし子さんは、どんどん疲弊をしていった。
1年ほど過ぎて、当時の店長が別の店舗へ移動することになった。
同時にとし子さんが店長のポジションに就くのを防ぐため、とし子さんまで別の店舗へ移動となる。
またしても上司からの嫌がらせを受けて、パニック障害を発症する
異動先の店舗では自分より売り上げの少ない店長が上司で、成績はとし子さんへ軍配が挙がる。
他店舗や他の社員にも、店長の成績の悪さは筒抜けだった。
プライドをくじかれた店長は、とし子さんに「なんでこんなことができないのだ?」など成績と関係のないことへの八つ当たりをするようになった。
八つ当たりをされた日の帰途の途中で、とし子さんは倒れた。
病院へ搬送されたが、病名がわからない。
それ以来会社へ行けなくなり、一人暮らしをしていた部屋から実家へ帰り療養をすることにした。
実家へ帰っても、相変わらず発作は起こる。
通院をするけれど、体調不良の原因は1ヶ月ほどわからずにいた。
たまたまその頃婦人科系の病院にもかかっており、婦人科の医師に発作のことを打ち明ける。
「ストレスの多い、働く女性によく見られる症状」だと言われ「自律神経失調症」の診断書を出してもらう。
診断書が出たことと、婦人科のドクターストップがかかったことで、正式に仕事を休むことにした。
自分の意思を尊重しようとしない母、くり返されるパニック発作
実家に帰り療養をしているときに、母親に「仕事を辞めたい」と打ち明けた。
すると母からは「せっかく社員として働いているのに、辞めるなんて」と反対された。
友人から気分転換にと、出かける誘いがあり「行きたい」と母へ話した。
「会社を休んでいるのに、遊びに行くの?」と批難を受けた。
そのときに家で再び発作が起きた。
「もうこんな場所にはいたくない」そう思い、実家から一人暮らしをする部屋へ戻る。
心配をしてくれる友人から、心療内科の受診をするよう勧められた。
訪れた心療内科で、初めてパニック障害の診断を受けた。
最初の発症からパニック障害の診断を受けるまで、2ヶ月を要した。
診断書を会社へ提出した際「パニック障害なら、しばらく(復帰は)ダメだね」と言われた。
職場はちょうど年度替わりの時期だった。
パニック障害を発症するきっかけになった上司が、自分が移動する前にとし子さんの次年度の給与を申請してから移動をしていた。
そこで賞も取るほどの成績をあげていたにも関わらず、まったく給与が上がっていないことが判明する。
「おかしいのではないでしょうか?」と新しい上司に掛け合ったが、
「(自分ではなく)前の上司が決めたことだから、どうしてあげようもない」と説明を受けているときに再び発作が起きて倒れた。
上司に「辞める」と申し出ると「給与面の書類に捺印をした方が、休職中の傷病手当や基本給は出る」と勧められ、応じることにした。
給料は大幅に少なくはなったけれども、当時の上司に勧められた提案のおかげで一人暮らしでも療養生活を送ることができた。
傷病手当をもらい貯金を切り崩しながら、療養生活を過ごすお金を得ることができたことに感謝をしている。
最終的に1年半の療養生活でパニック障害は回復して、元の会社へ戻ることはなく現在は違う職場で働いている。
第2話へつづく
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