同じ言葉を使っても人によってイヤミっぽかったり、笑って聞けるその差は?

「ヒーマゴさんはまだかいな?はよう産まんと、ばあちゃん死ぬぜ!」まだ健在だった祖母(当時90代中盤)から突然言われ、吹き出しました。

この頃私は30代で周りがどんどん出産しているのを尻目に、とても焦っていました。

いろいろな人からの「お子さんは?」の言葉に「また言われた……」と過剰に反応していたときです。

祖母から投げかけられたこの言葉には、笑えるばかりで「ごめんね、なんとか死ぬまでに見せたいね」と素直に答えることができました。

結局ヒーマゴさんを見せることはありませんでしたが、この毒のない問いかけは当時の私にとてもありがたいものでした。

祖母は学もなく、文字は読めても書けない明治の女でした。

けれどもユーモアのセンスはずば抜けていて、いつも私はこの祖母から笑わせてもらっていました。

ユーモアはまっすぐな心から生まれます

祖母はとてもまっすぐな人でした。

この時代の人はそういった方が多いのかもしれませんが、生活はとても慎ましく無駄なものは一切置いていませんでした。

その代わり他者へ何かをあげるときは気前よく、恩着せも一切ありません。

そんな欲のないまっすぐな心から発せられる言葉は、無駄がありません。

気持ちが満たされている人からしか、発せられない言葉だったのだと思います。

辛辣な言葉や毒舌が悪いのではなく、心境が悪いのです

字面で追えば冒頭で祖母が発した言葉は、辛辣なのかもしれません。

けれどももしその場に私と同じ立場の人がいたとしても、笑わせる自信が私にはあります。

結局なにを伝えるかより、どのような心境で伝えるのか?

他者とのコミュニケーションは、そこに尽きると思うのです。

私がイライラしているときに発する言葉は、それが優しい言葉だったとしても、相手へ攻撃的に響いていることでしょう。

逆に厳しいことを言ったのにまっすぐに伝えて、感謝をされることもあります。

言葉はどうにでも選ぶことができますが、心や想いはそのまま相手へ伝わるものです。

心理テクや知識を駆使して他者をコントロールできるほど、人はバカではないのです。

自分の言葉が相手へ与える反応で、自分の心境を知りましょう

自分の発する言葉で、現在自分がどのような心境なのかを知ることができます。

もし言葉が毒を持っているときは、一旦黙りましょう。

そうして余裕を失くしているのはなぜか?に気持ちを切り替える。

休みなく働いている体力的な問題かもしれませんし、気持ちに不安を抱えているのかもしれません。

体力的な問題なら体のメンテナンスを、気持ちの問題なら少しでも不安の解消を。

あるいは解決できる問題なのか?考えても仕方のない問題なら(特に相手あってのこと)考えること自体が無駄です。

たったこれだけのことですがパンパンな気持ちでいることと、ほんのわずかでも気持ちに余裕があるのとでは、他者からの反応が大きく変わります。


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