
椿山荘のクリスマス・ディスプレイ
クリスマスといえば、私だけ声が混ざらなかったメサイア合唱団の思い出
私が通っていた中学と高校はキリスト教系の学校で、毎年同じくキリスト教系の大学と合同のメサイア合唱団として、大きなホールで歌っていました。
混声合唱団で男性の声もあり、オーケストラも入る大音響のなか、私の声だけ混ざらないのです。
今はかなり低い声になってしまいましたが、当時の私のパートはソプラノで決して野太い声ではありませんでした。
客席で聴いている知人から「(私の)声がよく聞こえていましたよ」と言われるのですが、合唱団の一員としては不向きです。
私だけ腹式の発声で歌っていたのが、原因だった
県下で唯一音楽科のある学校だったので、声楽専門の先生がいました。
その先生が「原因はセリさんだけが、腹式呼吸で発声をしているからなの」と教えてくれました。
私にとってはいつもの発声法だったのですが、通常は声楽を習って3年近くかかって身につける発声法だったそうです。
合唱団のほとんどの人は胸式で歌っていて、私が腹式で歌えば違う楽器の音のように混ざらないのだと言われました。
浮いてしまうのがイヤで小な声で歌っても、やはり響いてしまう。
それがとても気になり相談したところ、合唱よりソロに向いているということを伝えられました。
適合するため目立たないようにしても、浮いてしまう
そもそも私は中学1年生でアフリカからの帰国子女ということで、入学当初から浮いていました。
そのことで随分学校からも友達からもイジメられましたので、浮かないことが私の一番の理想でした。
英語の教科書を読ませられると、発音が違う。
教師よりいい発音で読むと生徒が教師をバカにして、教師がイラついて私に当たる。
自慢でもなんでもなく、いつもどうすれば自分は浮かずにいられるのか?ということばかり考えていました。
今でも社会適合ができずにいるのかもしれません
突き抜けることを、嫌う大人はたくさんいます。
それはその人が指導をするためには「上でなければならない」と思い込み、突き抜けた人の力を押さえ込もうと考えるからです。
確かに合唱で浮かないためには、腹式で歌うことはディメリットとなります。
教師から八つ当たりを受けないためには、英語をカタカナの発音で読むのがいちばんいい。
上司や親から愛されるのは聞き分けよく、反抗しなければいい。
そういう意味では、私は見事に社会不適合者です。
他者からの評価は、その人の都合の良し悪しでしかない
本当に心豊かで他者を育てようとする人は、声楽の先生のように抑え込まず適している場所を教えてくれます。
自分が上に立てなければ指導できないのなら、その人以上の能力のある人は排除されてしまいます。
また胸式呼吸が生かされる合唱に適した人が、腹式で歌うソロになったら苦しむというだけ。
自分の適性が生きるのが団体の中なのか個人なのかに、いいも悪いも、社会適合も不適合もないのです。
自分の適した居場所にいるかいないかで、世界は大きく変わる
いちばんの社会不適合者は突き抜けようとして、押さえ込まれてしまったことで、自分のいるべき場所にいない人です。
もし誰もが自分の適した居場所にいれたなら、他者の上に立って押さえ込もうとする幼児性は必要ないでしょう。
自分が満たされている成熟した人は、他者から才能を取り上げたり妬む必要などないですから。
自分に適した場所を探せなくても、教えてくれる人を諦めずに探してください。
自分の世界にピタリと当てはまる場所を探し出すことができれば、取り巻く社会も大きく変わる。
いちばん変わるのは「成熟した者たちに囲まれる」ということだと思います。
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