子なしハラスメントについて以前書きました
子なしハラスメントについてずいぶん前に書きましたが、人気記事のトップ10に入るほど今でも毎日のように読まれています。
子なしハラスメントに苦しんでいる人が、いかに多いのかだと思います。
過去記事はこちらから→子なしハラスメントに傷つかないで。
子供を生み育てられた方々は、純粋に羨ましいですし素晴らしいと思います。
それは病気、事故、事件などで子供を失う恐怖に打ち勝つという側面で、親としての葛藤がいくつになってもあるからです。
私には考えられないほどのプレッシャーに、耐え抜く強い人たちです。
日本では一応成人するまでの養育が親の義務とされていますが、いくつになっても親である以上心配の種は尽きないでしょう。
望む望まなかったに関わらず、子供がいない私がこの「巨大なプレッシャーを免除されている人生」という点では事実なのです。
高畑淳子さんが謝罪されたそうですね
女優高畑淳子さんが息子さんの容疑に対して謝罪されたことを、ネットのニュースで見ました。
こういう事件が起こると「過保護」だとか「甘やかされている」というバッシングも出てきます。
シングルマザーとして育てて、子供の反抗期には果敢に立ち向かい、健康な社会人を世に1人送り出しても叩かれてしまう。
被害者に対して加害者の母親として個人的に、謝罪をするのならわかります。
あるいは息子がまだ未成年なら、親の責任を追及されるのもわかります。
けれどもなぜ成人した男性の罪を、母親まで背負わなければならないのでしょうか?
子供のいない私が考えるのは、もし自分に子供がいたのなら男女関係なく「明日は我が身かも⁈」と恐れるのだと思います。
また子の立場として考えても「私だっていつどんな形で、親に心痛をかけるかわからない」という加害、被害者両方の面で考えることができます。
優劣ではないのに
よく育てば偉い親、問題を起こせばひどい親とされるのなら、親のストレスは限りなく続くのではないでしょうか?
けれども犯罪者と同様に謝罪をする母親の心は、いったいどこへ向かえばいいのでしょう?
愛情をかけて育てても優劣で評価されることを考えれば、子供のいない人たちに「自分たちより劣っている人間がここにいますよ」と叫びたくもなるかもしれません。
子供を産んでいない人間がハラスメントを受けて、劣っているような気にさせられる背景には、こういった社会的な背景もあるのではないかと思うのです。
子供なしハラスメントに悩む人はまず「子供がいない劣等感」を払拭することです
まず失う恐れを免れている人間として、喜び、感謝をして悲しむことをやめる。
また社会貢献をしていないような後ろ暗い気持ちで、貢献自体をやめないことです。
これはハラスメントを受けて刷り込まれただけの、誤った劣等感だということをまず認識してください。
「子供さえいればこんな仕打ちを受けなかった」と思うかもしれませんが、子供を産んでも産まなくても社会的な評価はつきまとうのです。
それならば子供を産んで失う恐怖と戦っている親たちの代わりに、自分たちが違う形の貢献をすればいいのです。
パーフェクトな子育ても、育ちもありません。
そうして優劣も、一瞬にしてひっくり返ります。
そんな外からの評価に惑わされず、楽しく明るい人生を選んでいるということだけでも、社会を明るくする立派な社会貢献なのですよ。
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