ea450f6c9a4e1cde216b944e17529ce1_m

 

 

 

 

 

 

「親と離れることって、親を捨てることですか?」
ということをよく聞かれる。

親からの依存が強すぎた子供は、
人との健康的な距離を保つことがあまり上手ではない。

人付き合いをオールorナッシングという風に
してしまうことが多い。

ベッタリとくっつくか、すべての接触を避けるか。

そうして対人関係がうまくいかず、
苦しむこととなる。

親との距離感のまずさが原因だと気づいた人が、
意識して親と極端な距離を置こうとすると、
つまずいてしまうことがある。

「親と絶対に接触してはならないのではないだろうか?」
と考え出してしまうのだ。

その空想がどんどん飛躍していくと、
「親を捨てなければならないのか?」
という思考に陥り、
それはイヤだから、
またベッタリとした距離に戻して苦しむ。

捨てられるわけがない。
捨てられないから、
大人になっても苦しむのだ。

捨てたりしなくても、
ほどよく離れるのはとても簡単なことだ。
「自分でイニシアチブを取る」
ということに尽きる。

親の求めに応じるのではなく、
自分が親の求めに応じたくなったときだけ応じる。

だから親が
「一緒に食事をしよう」
と言っても、自分が会いたくなければ会わない。

他人なら会いたくない人にわざわざ会いに行かないのに、
なぜ親とだけは会わないといけないのだろう?

無理してでも会えば、
親を満足させることはできるだろう。

でも自分の中には被害者意識が出てしまう。

そうして怒りや恨みの感情が積もり積もってしまい、
親の知らない場所で心を荒ませてしまう。

そうして「捨てなければ離れられないのか?」
という極端な妄想に陥ってしまうのだ。

「自分が会いたいから」
と自分の意思で会いに行ったのなら、
被害者意識も、怒りも妄想もでてこない。

会って親から依存されるような目にあえば、
「疲れたから帰るわ!」
とか
「急用ができたからまたね!」
と言い放ち、さっさと撤退して帰ってくればいい。

我慢して親の納得いくまでそこにいると、
また被害者意識が出てきてしまう。

不満そうな顔をした親を喜ばせることができるのは、
あなただけではない。

また不機嫌そうな顔をした親は、
他者に不満を満たしてもらおうと依存しているから、
あなたが帰るといえば不機嫌になる。

でもそれはあなたの問題ではなく、
親が自分でクリアしなければならない問題なのだ。

これまでの人生のなかで、
どれだけ親の不満そうな顔を満たそうとしたり、
不機嫌を回避するために
自分が盾となってきたか考えたことがあるだろうか?

また盾となってしまったばかりに、
親が自分の寂しさや、不満感を自分で埋めるチャンスを、
奪ってきたのなら……。

親を喜ばせるために無理して会ったのに、
自分には「被害者意識や怒り」という毒を溜め込み、
親の「自分自身で問題をクリア」させるチャンスを
奪っていたとしたら、
どちらも幸せになどなれない。

せっかくの親孝行が台無しになってしまう。

親からの電話だって子供の頃ならいざ知らず、
大人になって出たくなければ出なくていいのだ。

自分が話したいと思った時だけ出ればいい、掛ければいい。
緊急な用事なら留守電にメッセージを入れたり、
メールをしてくるだろう。

「心配だから」というのなら、
元気にしているとだけ言って切ればいい。

親はそのとき少しは悲しむかもしれない。
でも子供からすげなくされることで、
自分で自分を満たす工夫を探し出すかもしれない。

無理して対応したときの、
自分の苦しみは親に癒してもらえないのだから、
どっちを引き換えにするのか?
ということを考えたほうがいい。

自動的に自分を大切にする方を、
選ぶことになるだろう。

少しずつ親とのいい距離を保つ練習を
することで「人との距離感」を学習し、
家族以外の人との距離も上手に取れるようになる。

もう一度子供の頃に戻って子供時代に学べなかった
「人との距離感」を学習しよう。
そこだけは置き去りにされた子供の部分だから、
恥ずかしがることなどなにもない。


投稿がお気に召しましたら、ポチッとクリックをお願いします!

↓いつも応援ありがとうございます。

にほんブログ村 家族ブログへ