ボストンでのできごと
今から7年前の40歳のとき。
旅先ボストンの小さな美術館を見終わって、次の目的地へ向かおうとしていた。
出口でガイドマップを眺めていると、女の子の泣きながら話す声が聞こえてきた。
“Mom, I wanna talk to you. Please, please listen to me Pleeeeeeease!”
「ママ、私はあなたと話がしたいの。お願い、お願いだから私の話を聞いてよ、おねがいーーーー」
見ると6、7歳の女の子が、3、4歳の男の子の手を引いた母親の後ろから泣きながら追いかけている。
警備員も首を横に振りながら様子を見守っているけれど、誰の視線も母親には届かないようだ。
“Just shut up!! I don’t want to listen to your words”
「黙りなさい!!あなたの話なんて聞きたくない」
母親は男の子を抱き上げ、女の子へヒステリーな声で罵声を浴びせると、足早に立ち去ろうとする。
“Hey, mooooooooom!!”
「ねぇ、ママーーーーーーー!!」
女の子はその場で叫び、泣き崩れた。
しゃがんでいる女の子を立ち上がらせたいのに、胸が苦しくなったと思うと、涙がハラっとこぼれた。
「あれ?悲しいのはあの子のはずなのに、私はどうして泣いているのだろう?」
そうしているすきに、女の子は泣きながらずいぶん先へ行ってしまった母を追いかけて行ってしまった。
母親は一切その子を振り返らなかった。その様子がさらに私の古傷を大きくした。
そのときまだ私は、女の子を私の幼い頃に重ね合わせていたことを知らなかった。
ただ女の子の尋常ではない切迫感や、母親の冷酷な顔、激しい口調がその日ずっと私の脳裏に焼き付いて離れない。
なにがお母さんの心に起きているのかはわからないけれど、女の子はそれくらいただごとではない必死さで訴えていた。
あのとき泣き叫んでいた、インナーチャイルドが傷ついたあなたへ
お話を聞いてもらえなくて、ショックだったよね。
不安で不安で抱きしめてほしかったから、あんなに大きな声で泣いたのよね。
きっとお母さんの気持ちが、いつも自分にはないように感じてしまったことが寂しかったんだね。
あのときだけのできごとなら、あんなに感情は爆発しないもの。
私もあなたくらいの年齢のときに、ああいう泣きかたをしていました。
胸をかきむしられるような、苦しい思いだよね。
弟ができてお姉ちゃんになっていたって、どう伝えればいいのかまだわからない年だもの。
まだ自分が寂しいってことすら、よくわからないもんね。
もっと大きくなると人の前であんなふうに泣けなくなるから、同じ気持ちを抱えていても、がまんしちゃうの。
そうして自分がみじめにならないよう、明るくふるまったり、強がったりして大きくなるんだよ。
そのうち寂しかったことも、思いださないようにしてしまうの。
だって大人なんだし、いつまでも寂しかったことを親にいうのも大人げないし。
私はずっと思い出さないようにして、忘れたふりして40年も生きてきちゃったの。
あなたが泣き叫ぶ姿で、眠っていた私の心に住むインナーチャイルドが飛び起きました。
今ごろあなたは中学生?高校生?元気に成長しているかしら?
あの日のあなたは悪くない。誰が見ても悪くない。
警備員さんやそこにいた大人は、みんなそう思って見ていたはず。
「私がわがままだったから、お母さんから話を聞いてもらえなかった」なんて考えていないといいな。
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