正直な告白 〜インプットが多すぎて、ブログを書きたくない
ここ数週間ほどブログを書くときに、なにかしらの違和感を感じています。
2月から毎日更新をしていますが、定期的にスランプに襲われます。
ネタ切れのときはどこかへインプットをしに行けば事足りて、インプットしたものをアウトプットすればスランプを脱することができます。
ただここ最近のスランプは、今までのスランプの質と少し違っています。
お伝えしたいネタが枯渇しているのではなくて、インプット量が多すぎて細切れに書けないのだと気がつきました。
インプットさえしていれば、アウトプットができるわけではないのですね。
取り入れた情報を一度フィルターにかけなければ、伝えたいことが定まらなくなる
毎日なにかしらの発信をすることは、情報(ネタ)がなければ発信できません。
たとえば美味しい食事を食べたとか、昨日の発信のようにオールナイトで映画を観たなどの発信はありのままのライブ情報として、書く側も楽しいレポートとなるわけです。
しかしながら美味しい食事は、なぜ美味しかったのか?
これはどのように作られているのか?
読み手に美味しさを伝えるには、どのような表現があるのか?
などの美味しいさの深い部分を伝えようとすると、さまざまな切り口が考えられます。
映画を観るだけでもオールナイトの感想や、映画そのものの論評、感想、映画館の雰囲気など、切り口を変えるとさまざまな角度から書くことができます。
その切り口を考えるうえでインプットしてきた情報の、どの部分を切り取るのか?と記憶を一度フィルターにかけて、細分化する作業が必要になります。
作りたてをそのまま食べて美味しいものと、熟成期間を要するものにちょっと似ているのかもしれません。(笑)
昨今仕入れているネタは、熟成期間を要するものばかりだったということです
現在私のアンテナの感度はイメージとして、とても多くの本数で鋭敏に働いている気がします。
それが証拠に直観力がものすごく鋭敏に働き、間一髪で難をのがれるようなことが身の回りに起きているのです。
感受性があちこちに作動して、今までつかんでこなかった深い情報まで拾ってきている。
喜ばしいことです。
しかしながらディメリットとして、フィルターの分類作業が間に合わないという事態が起きていると思っています。
すべて主観なので本当のところはわかりませんし、その原因を深く追求しても意味がありません。
ただインプットをして即アウトプットできる質の情報とは、別の質のインプットがあるのだと実感している現実があるということです。
ある意味私が現在好んで拾ってきているネタは、ブログ向きの話ではなく書籍やセミナー向けの情報なのかもしれません。
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