恋は盲目といいますね
得てして人は、好きな人の悪い部分を見ようとしません。
これは自分がその人を「好きでいたい」と思う感情の色眼鏡をかけているからで、相手の良し悪しは別のものです。
他者から見て「あんな人のどこがいいの?」と言っても、その人を好きでいたい感情がある以上心は動きません。
一方で誰かから悪い噂を聞いて、自分が被害に遭ってもいないのに「自分は被害に遭いたくない」という感情の色眼鏡で、他者を見てしまうこともあるでしょう。
事実を見ずして「被害に遭いたくない」という色眼鏡で人をみてしまうと、自分は被害者にはならない設定で脳は働くのです。
すると相手がどんなにいいことをしても、被害に遭わないことが最優先とされるので、いいところをなかなか見ようとはしません。
そういった思い込みを持つことで、脳は変幻自在に自分の欲しい感情のままに情報収集をするのです。
相手の存在をコントロールするより、自分の欲しい感情の色眼鏡をかけたがる
「好きでいたい」という色眼鏡をかけていたのに、仮に相手が詐欺まがいなことをすれば「だまされた」という感情が発生します。
だましていたのは、どちらでしょう?
「被害に遭いたくない」色眼鏡をかけて見た相手が、意外といい人だということは見えないのに、だまされたときだけ大騒ぎをするのはなぜ?
どちらも自分がかけている色眼鏡を元に、妄想を作り上げていませんか?
脳は危機を感じると色眼鏡を変色させようとさえします
妄想は大暴走します。
「だまされた」という感情は悔しいことですから、脳は必死で自分が「好きでいたい」という感情をなかったことにします。
そう、自分を守るために必死で言いわけを考えるのです。
「あんなこともされた、こんなこともされた」と元の「好きでいたい」色眼鏡をなかったことにして、相手を攻撃する色眼鏡をかけ始めるのです。
また「あんな人のどこがいいの?」と言われて聞く耳を持たなかったことにさえ、蓋をして隠そうとします。
最後には「そもそも好きでもなかった」という色眼鏡へ変更して、自分の最初の得たかった感情とは正反対の色眼鏡までかけてしまいます。
力のある人は「事実を見る」ための色眼鏡をかけるのです
色眼鏡をコロコロと変えてしまうのは、自分で事実を受け止める力がないからです。
事実さえ見ることができれば、だまされることも予測できたでしょう。
自分の欲しい感情のままに色眼鏡は操れるのですから、どうせなら「事実を見る」ための色眼鏡をかけませんか?
色眼鏡を変えて現実逃避をしたって、最終的には事実が襲ってきてしまうのです。
それでもだまされる覚悟がある人ならいいでしょう。
けれどもそんな覚悟をする力があるのなら、事実を見た方がずっと有意義で楽です。
事実を見るのは怖いこともありますが、自分を傷つけずにすむという大きなメリットがあります。
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