「アフリカに空手を広めにきた武道家のSさんだよ。
今日からこの家に住むことになったから、
君の部屋を彼に使わせてあげて」
父が連れてきた日本人男性Sさんは、旅行中に父と知り合った。
彼が空手を広めたいという希望を聞き、
父が協力することになったという。
「私の部屋を使うの?」
タンザニアにきたおかげで、
ようやく憧れだった自分の一人部屋を確保できたというのに。
仕方がなく明け渡し、
私は妹と同じ部屋を使うことになった。
当時のタンザニアでは空手が流行っていて、
浜辺では夕方になると多くの現地人が道着を着て訓練をしていた。
日本人だとわかると
「空手はできる?」
としょっちゅう聞かれていたし、
「俺は空手ができるぞ!」
と言うと現地人から尊敬もされるし、恐れられた。
そこにビジネスチャンスを見出したSさんは、
道場を開くためにアフリカへ渡ってきたという。
30代初盤のその男性はとてもギラギラしていて、
会ったとたん苦手意識が湧き上がった。
朝晩と部屋や庭でトレーニングをするのだが、
暑さとスポーツマンの代謝のよさで、大量の汗をかく。
床で腹筋や腕立て伏せなどをすると、大きな汗だまりができる。
彼が住み始めて1週間でベッドのマットレスも、
広い家じゅうにも彼の体臭が漂うようになった。
あまりにも強い匂いで、部屋の近くには寄れない。
また飲酒も食べる量も半端ではない。
毎食軽く丼山盛り5杯分のご飯を平らげ、おかずもあるだけ食べ尽くす。
水もあるだけすべて飲み尽くしてしまう。
それでもSさんにとってはまだ足りなかったようだ。
物資が乏しく飲料水の確保が大変な場所で、
ただでさえ家族にも食料や水が行き渡りづらい環境だというのに、
遠慮はいっさいなかった。
あるだけ食べてしまうと
「幸せいっぱい腹いっぱい♪」
などと歌って家族全員が
自分たちの飲み食いを我慢していることなど気づきもしない。
また彼は父には従順な態度を取るけれども、
歓迎をしないその他の人間には非常識な態度を取っていた。
自分の飲み水や食料は自分で確保してほしいといくら伝えても、
父からは了解を得ていると言って、家中のものを食べまくる。
またアフリカ全土の取材をカバーしていた父は、
しょっちゅう国外へ出張に出ていた。
治安が悪い国でSさんに、父の不在時に家族の護衛役を頼んでいた。
でもSさんは父が出張へ出ると、
食事をすませて遅くまで現地人のバーへ行き飲み歩く。
護衛する気などさらさらない。
家の中は次第にギスギスし始めた。
夫婦喧嘩も多くなり、父は癇癪を起こしてばかりいた。
日本にいたときは、母のヒステリーとだけ対峙していればよかったのに、
タンザニアでは父の癇癪にまで対峙しなければならなくなった子供たち。
収まっていた母のヒステリーも再燃し、
父はSさんを連れて外出することが多くなった。
でも決してSさんに出て行ってくれとは言わない。
まるでSさんを意地悪な家族からかばうかのように、
いつも行動を共にしていた。
家に置き去りにされた家族は、寂しい雰囲気に包まれる。
もともと「死にたい」という言葉をよく発する母だったが、
その言葉がよく出るようになった。
学校へ行っているあいだも両親が喧嘩をしていないか?
母が自殺をするのではないかと、気が気ではない。
「ヨーロッパ人の女子」http://nakanoseri.com/sotozura/からの電話もまだ続いていた。
母がその電話を取ってしまい、その人と話をしたと言う。
「(父と)婚約しているんだって。妻子がいるって伝えたよ」
と母は私に打ち明けた。
投稿がお気に召しましたら、ポチッとクリックをお願いします!
↓いつも応援ありがとうございます。