「どうして宿題をしないの?」
「どうしてもっとお行儀よくできないの?」
「もう出かける時間なのに、どうしてそんなにノンビリしているの?」
どうして…なんで…?
疑問の言葉を使うときは、気をつけた方がいい。
「どうして」という言葉は、相手の不可解な言動を問いかけるためにある。
勉強をしない理由を言えば、勉強しなくていいのなら
「どうして」という言葉を使ってもいい?
お行儀よくできない理由さえ言えば、暴れていてもいいのか?
疲れているからノンビリしたいと答えれば、その怒りを引っ込めてくれるのか?
シンプルに「宿題をしなさい」「お行儀よくして」「急げ」
と指示または命令をするだけですむことだろう。
「どうして?」を言っている本人は疑問形にすることで、
命令をしていないような気になっている。
一見相手の意思を尊重しているように見せかけて、
自分が困っているフリをして、相手をコントロールしようとする方法だ。
そもそも宿題をしてくれなくて、困っているのは誰だろう?
お行儀よくしてもらえなくて、恥をかくのは誰だろう?
出かける時間に急いでもらえず、イライラしているのは誰だろう?
「どうして?」という疑問を投げかけている本人だ。
それなのに従っていない本人へ疑問を投げかけることで、
自分の問題を相手に転嫁していることになる。
ここに「あなたのため」などの恩着せが入ると、ことはもっとややこしくなる。
責任を転嫁したうえに、そのことに感謝までさせられる。
言われた相手はダブルで納得がいかない。
しかしながら問いかけた本人は、責任転嫁をしていることに気がついていないから、
「立派な指導者」と勘違いしながら君臨してしまう。
言われた方は、質問されているなどとは思わない。
相手の欲求に従うように責められて、脅されていると感じる。
そのときは恐怖におびえて従ったとしても、
支配された感覚や屈辱感は、確実に溜め込まれる。
また責められたくない、脅されたくないという心理が働き、
言いわけや嘘をつくことで、恐怖から思考を逃すことを覚えるようになる。
言いわけや嘘で塗り固められた思考は、逃げてばかりいるので、
自分の抱えている問題点に気がつきにくい、ややこしい思考になってしまう。
他人にも自分にも言いわけをして、嘘をついて納得させようとするからだ。
けれども本能的には「人のことはだませても、自分はだませない」
ということは感じているので、言いわけをして逃げている自分を持てあます。
どこからどう修正していいのか?
なにが正論で、そうではないのかがわからなくなってしまうのだ。
このような過程を経て、空気の読めない人間に育ってしまっては、
自分の理屈が他者に通用しないという、人生最大の苦しみを生む。
先日カップルの喧嘩に遭遇した。
「何度言えばわかるんだ!なんで俺の言っていることがわからないんだ」
と男性が顔を真っ赤にして彼女に怒っていた。
たまたま通りがかっただけだから、すぐにその場を通りすぎてしまったけど、
ここでも意味のない「なんで?」が使われていた。
「俺の言うことを聞け!」と言いたいのだけど、言えば命令になり、
彼女が自分を嫌悪するかもしれないから一応「なんで?」をつける。
けれども彼女が言うことを聞けない理由を伝えても、
彼は「あっ、そうか」とはならないだろう。
彼の言い方は問答無用だからだ、
自分の言うことを聞き届けてくれなければ、
納得がいかないと言っているに過ぎないのに、聞かない彼女を暗に責めている。
「どうして?」というたった1つ余計な言葉を付けたゆえに、
起こる人間関係のひずみ。
相手をコントロールするための意味のない「どうして?なぜ?」は、
即刻やめるべきだし、気がついた時点で、いつやめても遅くない。
また疑問として投げかけたのなら、相手の言い分をきちんと聞く。
そうして話し合えるだけの力をつける。
このどちらかでしか、スムーズなコミュニケーションは成立しない。
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