悲しい記憶や、辛い記憶が蘇るとき

ずっと思い出すことのなかった記憶が、突然頭に浮かぶことがあります。

幼少期の記憶だったり、10年前だったり……。

ジワジワと誰かから苦しめられたり、突然頭をガンとなにかで殴られたほどの衝撃を受けた事件の記憶です。

そのときは「やっと思い出せるようになったね。えらいね」と幼子をほめるように、自分をほめてあげてください。

また心が低迷していときに、そういった記憶を思い出すのならわかる。

けれども楽しくしているときに、突然思い出したということがあります。

楽しくしているときに、そんな記憶を思い出すのは確かにショックでしょう。

せっかく忘れていたことを、わざわざ楽しいときに思い出すと「自分の頭はどうかしちゃったのか?」と戸惑う人もいます。

けれどもこれは健康になった証拠だと、考えてみてください。

思い出したくない記憶は、思い出さないようになっている

心を守るため人の記憶は別の人格を作り出してまで、思い出させないようになっています。

思い出してしまったときは確かにショックなのですが、どういうときに思い出すかも大切なのです。

楽しいときに思い出しているということは、心に余裕が出てきたときに辛い記憶を自ら癒そうと、無意識が働きかけているのです。

そのときに「せっかく立ち直って元気になったのに、また不健康に戻ってしまったのか?」と思うのもまた、健康な証です。

不健康な場合、思い出しても感じないようにしてしまうのです。

私も若いころに抱えきれなかったことの記憶が、部分的に飛んでいることがあります。

「あのとき自分はどうやって帰ってきたのだろう?」とか「あのとき周りには誰がいたのだろう?」という記憶が、ところどころないのです。

これはそのときに生じた感情を感じないようにと、必死に心を守っていたということがわかってもらえると思います。

まだ立ち直れていないと思わない

ここで大切なのは記憶に現況を、巻き込まないことです。

実生活で同じ体験が繰り返されたのなら、追体験として苦しいです。

けれどもこれはあくまでも「記憶のフラッシュ・バックなのだ」と自分へしっかりと言い聞かせることで、冷静に対処することができます。

悪い夢を見ているのと、似たような発想です。

その苦しかった状況は記憶の中で起きていていることで「現在の生活のなかでは起きてはいない」ということをしっかりと自分へ言い聞かせるのです。

夢から覚めたら「夢だった」とホッとするように、記憶からも覚醒する必要があります。

覚醒するために「記憶」と「現況」を混ぜてしまっては、感情が恐怖に支配されててできなくなります。

「まだ立ち直れていない」となってしまうのは、まるでそのことがまだ続いているかのように錯覚してしまっているからです。

すると自分へ弱い者呼ばわりをしてしまったり、見たくない者のように扱ってしまいます。

無闇に怖がらない、戦わない

思い出して落ち込んだなら、泣いたらいい。

怒りが出てきたらカラオケボックスで「バカヤロー」とシャウトをしたり、クッションを殴ったりするのです。

「誰かへ悲しみや怒りをぶつけなければ、なにをやってもOK」と自分へGoサインを出してあげてください。

更なる回復を、心の自然治癒力が求めているチャンスなのです。

その事実を「よく耐えたね、頑張った」とほめながら、泣きたいだけ泣いてください。

また「この記憶をどうにかしなければ」と戦って抑え込まないのです。

抑え込むことは「我慢しなさい」とまるで冷たい赤の他人のように、自分へ接することになるからです。

ただ「あぁ、きつかったね、えらかったね」と無条件で自分をねぎらってあげられるのは、その辛さが誰よりもわかる自分なのです。

無理やり自分を立ち直らせようとしたり、奮起させようとしないようにしてください。

「どの記憶が出てきても怖くないのだ、自分は大丈夫だ」という刷り込みを自分へしてあげるのが、回復への早道なのです。

無理に思い出して癒そうとしなくても、そういったことが繰り返されることで、自然と心に強さが戻ってきます。


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