「自分は〜だからダメなんだよね」って、それ本当?

自分のダメだと感じる部分は、誰しもあると思います。

けれども「それって本当なのかな?」と少しでも疑ったことはありますか?

また自分のダメな部分は、どういったきっかけでダメになったのか?

実は過日あえて「ダメだし大会」が開催されました。(*注:実際はそんなタイトルではありません。笑)

すると「自分のダメな部分を見るのも、悪くないな」と思った次第です。

なぜならそこには、ダメになる理由がきちんと存在していたから。

そうしてダメになる理由だけ避ければ、ダメにはならないということがわかったのです。

「飽きっぽいんだよ〜」と思う自分の性格

自分のダメな部分。

それは「飽き性」。

「セリはなんでも俺よりできるのに、すぐに飽きちゃうんだ」と幼いころ兄がボヤいていました。

そうなんです。

自慢できるくらい私は、器用貧乏で飽き性。

熱しやすく、冷めやすい。

習い事を始めるとすぐに「やめさせて」と親へ頼む。

好きなアイドルもコロコロ変わる。

「材木屋」というあだ名を、つけられたこともあります。

「材木屋」その心は……「氣が多い」ということ。(ひどいっ‼︎)

冗談はさておき、そんな自分になかなか自信が持てなかった若いころ。

なにか新たなことを始めたいと思っても「続けれられるのか?」と疑問が頭をよぎり、思い切りよくは踏み込めない。

「どうせ続かないのだろう」と自分へダメダメダメ出しをして、いじめてあきらめて。

そんな飽き性の自分は、今でも好きになれなかった

そんな飽き性の自分は、マイナス査定として響きます。

ところがです。

先日の心理学の勉強会で「自分のダメだと思う部分」についての話となります。

今さら自分のダメな部分なんざ、触れたくないですよ。

もう自分のキャラクターの一部となっていて、それを含む自分ですから。

改めて自分のダメな部分を細分化するなんて、なぜわざわざ新たな刷り込みをする必要があるの?

そんな居直りにも似た、心理ワークを含む勉強会でした。

氣の重たくなる作業

これまで自分が飽きて見向きもしなくなったことを、羅列していきます。

次に自分が飽きるきっかけになったできごとを、思い出せる範囲で回想していくのです。

次に飽きずに続けられていることを、羅列していきます。

簡単にいうと「その差はいったいどこにあるのでしょう?」と丁寧に見ていくものでした。

羅列してきっかけを回想している間は、すごく氣が重たい。

ものすごいリストになってしまいます。

「あー、これもやめた、あれもやめた。自分はこんなに根性ナシなのね」とテンションはどんどん下がります。

飽きてしまったものには、共通する特徴がありました

次に飽きてしまった物事や人、そのリストを眺めながらきっかけになった理由を照らし合わせる。

すると私の飽きてしまったことは、すべて「他者から勧められたもの」でした。

子供のころの習い事は、親や教師の意向で「いい」と思ったこと。

ちなみにこれは大人の勧めが、悪かったわけではありません。

「この子にはこういった適性があるのではないか?」とか「ここをもう少し伸ばせば」と大人が考えて決定したことです。

自分の意思を介在させることなく、意味もわからず始めたという意味です。

実際に体得したことは、無駄ではありませんでした。

けれどもいざ始めてみても、好きにならなかったことでもあります。

すんなりと、やめさせてもらえなかった

また好きになれなくても「すんなりとやめさせてもらえなかった」という共通点も出てきました。

たとえば小学1年生で入った、水泳教室。

これは父の仕事の関係でいずれ海に面した国(東アフリカタンザニア)へ家族で移住することが決まっていたからです。

転居した先で泳げないと危険だし、楽しめないだろうという理由でした。

始めると順調に級は上がるのですが、きつい準備運動やカルキの臭いが苦痛でした。

そこで半年ほど過ぎたころ、親へやめたいと伝えます。

すると「クロールの検定に合格すればやめてもいい」と言われました。

そうして晴れてクロールの検定に合格するまで、約1年間やめることは許されませんでした。

人の顔色を見て、始めたこと

いちばん深刻だと思ったのは「人の顔色を見て始めたこと」でした。

「〜ちゃんと仲良くするために、このアイドルを好きになろう」などです。

友達など誰かと仲良くするため、大人をがっかりさせないため。

そんな理由で始めたことは、ほぼほぼ継続できていません。

現在はそんなそんな基準で、なにかを始めることはありません。

ただ深刻だと思ったのは2、3年前まで、人の顔色を見て始めたことがあったから。

最近までそういった思考で決定していたことは、根が深いと考えられます。

自分の選択基準の傾向に含まれるから、氣をつけていないと繰り返す可能性があるのです。

飽きていないのはなぜ?

ここまで書けばもう飽きていないのは、どんなことかおわかりかと思います。

「自分の意思で好きになった」人や物事。

いちど好きになった音楽は、1日中聴いていても飽きません。

誰から言われたわけでもなく、料理をするようになりました。

これもずっと好きなまま。

初めに心ときめいた相手は、いつまでも好きでいます。

自分の意思を介在させればいい

「飽き性」なのではない。

自分の意思が介在していないのが、継続させることができなかった理由だった。

だから自分の意思で選択したものはすべて、いつまでも愛着を持っている。

ということでダメな部分を掘り下げることで、ダメだしをせずに生きていくことができます。

皆さんもいちど自分の「ダメ」だと思う部分を、どれだけダメなのか見てみては?

案外、ぜんぜんダメでなどないかもしれませんよ。


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