子供の心や体が病気になったとき、依存的な親の心にはなにが浮かぶ?
健全な親なら子供が病気になると、子供の心のケアや病気を治す方法を探します。
けれども依存的な親の心には、別の情景が浮かびます。
それは「いかにして自分は子供のことを心配する真っ当な親」を対外的にアピールするか?といった情景です。
子供のピンチを「自分を良く見せるためのチャンス」としてだけに利用するのです。
知人や専門機関、専門家へ相談へ行くのも「自分はちゃんとした親」だと主張をするため。
けれども主張をして自分への同情や良い評価を集めることが目的なので、他者からのどんなアドバイスも手立ても聞いてはいません。
ましてや「こういったことを、お子さんへしてください」と話の中心が子供へ及ぶと「自分がきちんとしていない」と言われたと変換をして、損得感情をむき出しにします。
「アイドルの座を子供に奪われた!」と損をした気になるのです。
自分が動く以上、どんなことでも…….
依存的な親の心は損得感情をベースに動いているので、どんなことにもその精神を発揮します。
依存対象の子供より、より多くのメリットが得られなければ納得をせず、自分が損をしたイメージしか残らない精神構造となっています。
依存的な親の損得感情に関する投稿はこちらから →強(したた)かに生きるため、依存的な親のリアルな精神年齢を知ろう
親族の葬儀で喜ぶ子供
幼い子供が親族の葬儀の席で、はしゃぐ光景を見たことはありませんか?
幼稚園未満の子供は「死」について理解していないし、誰かを亡くした残された人の悲しみもまだ理解できません。
また子供は賑やかなことや、場が大好きです。
葬儀の場では普段滅多に会うことのない、故人の友人や親戚が大集合します。
そうして故人とつながりのある、幼いその子を「残された遺族」として慈しみ接します。
状況的に子供が喜んではしゃぐのも、無理はありません。
依存的な親の心境もこのときの子供と、同じようなものだと考えるといいと思います。
アイドルになれない場合、あなたを放置します
自分に一心に注目を受けられない、あるいは子供のためだけに動く場面へ遭遇すると、途端にやる気をなくします。
その脳の切り替えは見事としか言いようがなく、誰も自分へ注目してくれければ簡単な子供へのケアでさえ「損」だと考えて放置します。
病床の子供へ動くように言ったり、病気をすると癇癪を起こして責めるなど、子供を癒して治そうとしないのはこういった理由です。
あなたを憎んだり、恨んでいるわけではない
一方で依存されている子供側からすると「このような冷たい目にあうのは、親が自分を恨んでいるせいではないか?」と自分の過去の行いを振り返って考えてしまいます。
そうして「あんなことをしたからではないか?」と的外れな理由を探し、自分を責めたりもします。
けれども依存的な親からするとただ自分へ優しい声をかけてもらえない「損する」状況だということ。
自分へ注目が集まらないことへは、一切関心が持てない
あなたに自力で治ってもらうことは、依存的な親にとって価値のない世界なのだということ。
それ以外のことに興味も関心もない。
だから「自分がなにをしたから」とか「今の自分がこうだから」などと親の立場になって考えることは、やめにしませんか。
そもそも依存的な親はあなたが健康だとか、病気だという事実に関心がないのです。
それなのに依存されている子の側が親からの冷たい仕打ちを受ける自分自身に、問題意識を抱くことは意識を親へ向けていることになります。
理由はなんであれ意識を親へ向けて注目をしてしまうことで、親の他者からの承認を満たす欲求のお手伝いをすることになるのです。
それによってまた、あなたへの依存心は深まっていきます。
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